クルムの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 09:35 UTC 版)
「ブルガリア・東ローマ戦争」の記事における「クルムの時代」の解説
アヴァール人の勢力が弱まっているのを見たクルムは、805年にアヴァール領に進行して勢力を拡大させた。さらに南へ転戦して東ローマ領のセルディカ(ソフィア)を奪取した。ブルガリアの増長を見た東ローマ皇帝ニケフォロス1世は、失地を回復しようとブルガリアに侵攻し、811年にブルガリアの首都プリスカを破壊したが、その帰途でブルガリア軍の攻撃を受けて戦死した。東ローマ軍を打ち破ったクルムは、さらにトラキア奥地へ侵入して残存の東ローマ軍に連戦連勝し、コンスタンティノープルを包囲したこともあったが、これを落とすことはできず、814年に死亡した。クルムの後継者のオムルタグは30年の和平を結んだ。
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