クルムスン・ディスク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/26 06:22 UTC 版)
「ヨムスボルグ」の記事における「クルムスン・ディスク」の解説
2014年秋、ハーラル1世とヨムスボルグの名が刻まれた黄金の円盤が発見された。発見したのは11歳の女子で、小箱に入っていたものを見つけ、学校に持って行った。クルムスン・ディスク(英語版)とも呼ばれるこの円盤は、金の含有量が多く質量は25.23gだった。表面にはラテン語で「+ARALD CVRMSVN+REX AD TANER+SCON+JVMN+CIV ALDIN+」と書かれており、これは「デンマーク人とスコーネ地方、ヨムスボルグ町、アルディンブルクの王、ハラルド・ゴルムソン」と訳される。裏面には八角形の凸部に囲まれた十字架と4つの点が描かれている。これは1840年にヴォリン近郊のビエイコボ(英語版)村で発見された宝庫の一部と推定される。 2015年6月18日、スウェーデンのルンド大学で円盤に鉄鋼分析を行った。その結果、合金中の金の含有量が83.3~92.8%と判明した。Siden Saxo(2015年第4号)でオランダ人編集者のSteffen Harpsøeはこのように述べた。「円盤は1100年頃にヨムスボルグやビエイコボ周辺の伝道師が装飾物として作った。その伝道師はハーラル1世を列聖した可能性が有る。「JVMN CIV ALDIN」を「オルデンブルク管区のヨムスボルグ」と読むとすると、円盤が作られたのは1050年~1125年の間となる。これは中世高地ドイツ語に「J」の文字が現れるのは1050年以降で、1125年にはヨムスボルグ管区が設置されたためである。 スウェーデン人人類学者のSven Rosbornは、ハーラル1世のヨムスボルグでの死に関係するフランク人僧侶が作ったと主張した。しかし、殆どの専門家はその時代に同様の遺物が無い事から、贋作であると考えている。
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