オングロスの戦い
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| オングロスの戦い | |
|---|---|
| 戦争:ブルガリア・東ローマ戦争 | |
| 年月日:680年 | |
| 場所:ドナウ川下流の湿地帯 | |
| 結果:ブルガール人の勝利、ブルガリア建国 | |
| 交戦勢力 | |
| ブルガール人 | |
| 指導者・指揮官 | |
| アスパルフ | |
| 戦力 | |
| 15,000~25,000 | 10,000~12,000 |
| 損害 | |
| ほぼ全滅 | 不明 |
オングロスの戦いは、680年、ブルガール人のハーン・アスパルフと東ローマ皇帝コンスタンティノス4世との間で行われた戦い。ブルガール人が勝利し、第一次ブルガリア帝国が建国された。
戦いの経過
大ブルガリア崩壊後、アスパルフに率いられたブルガール人の一派は、ドナウ川を越えて東ローマ帝国領内に侵入して略奪をおこなっていた。その頃、東ローマ帝国はウマイヤ朝との戦争で忙殺されており、ブルガール人の侵攻に対応することはできなかった。しかし、680年にようやくアラブ人との戦争を終わらせたコンスタンティノス4世は、ブルガール人の本拠地であるオノグロスへ親征を行った。対するブルガール人は、木造の砦を建設して侵攻に備えた。東ローマ軍はこの砦を落とすことができず、戦いは長期化した。そしてコンスタンティノス4世をはじめ、多くの兵士が伝染病に感染したため、東ローマ軍は撤退し始めた。ブルガール軍はそれを見逃さずに追撃を行い、東ローマ軍を壊滅させた。
戦いの結果
この戦いで勝利したブルガール人はさらに南下し、東ローマ帝国と停戦条約を結び、ドナウ以南に移住を開始し、第一次ブルガリア帝国が建国された。
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