アラブ・東ローマ戦争とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > アラブ・東ローマ戦争の意味・解説 

アラブ・東ローマ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 14:35 UTC 版)

アラブ・東ローマ戦争(アラブ・ひがしローマせんそう)とは、アラブ人イスラム王朝ウマイヤ朝ファーティマ朝)と東ローマ帝国との間に行われた戦争のことである。

シリアを巡る戦い

アラビア半島を統一したムハンマドは周辺民族に通商の使者を送っていたが、キリスト教国のガッサーン朝英語版アラビア語版[1]イスラムの使者を殺害してしまった。ムハンマドはガッサーン朝に報復するために娘婿のザイドを主将とする軍を送り込んだ。ガッサーン朝とその同盟国であった東ローマ帝国ムウタの戦い英語版アラビア語版でイスラム軍を壊滅させた。東ローマはサーサーン朝ペルシア帝国との戦いで疲弊しており、イスラム側も内部に反抗する部族がいたため、双方が望んで和平を結ぶことになったが、イスラム側は東ローマへの怨恨を忘れなかった。

634年、正統カリフアブー・バクルが東ローマ帝国へ宣戦布告シリアに出兵した。イスラム軍はボスラ、アジュナーダインで東ローマ軍に勝利し、さらにエルサレム、635年にダマスカスを占領した。東ローマ皇帝ヘラクレイオスはシリア奪還しようと636年に大軍を引き連れてアンティオキアに入城し、弟のテオドロスアルメニア系の将軍ヴァーハーンに軍勢をたくし、シリアの諸都市を奪還させていった。イスラム側は東ローマ帝国を疲弊させるため、あえて都市を放棄しジャーヒヤまで後退していた。

東ローマ軍はイスラム軍を殲滅するため、ジャーヒヤへ侵攻を開始したがヤルムーク川で待ち受けていたイスラム軍に大敗し(ヤルムークの戦い)シリア軍団を壊滅させられてしまった。イスラム軍は兵力が激減した東ローマ軍を攻撃し、翌年の637年にはエルサレムアレッポアンティオキアをも占領し、シリアを完全に制覇した。

主な戦い

脚注

  1. ^ ガッサーン朝』 - コトバンク

関連項目


アラブ・東ローマ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 00:24 UTC 版)

ヤルムークの戦い」の記事における「アラブ・東ローマ戦争」の解説

この時代、南のアラビアでは政治情勢急速に変化した預言者ムハンマドイスラーム教え広まり630年までにアラビア統一した632年ムハンマドが死ぬとアブー・バクルが第2第正統カリフ選出されるが、多くアラブ部族叛旗翻しリッダ戦争英語版)が起きたアブー・バクルメディナカリフ権威の下で何とかイスラーム共同体ウンマ)の分裂防いだ内乱鎮めたアブー・バクル対外征服事業始めイラクに兵を進める。アブー・バクル麾下勇将ハーリド・イブン・アル=ワリード率い遠征軍サーサーン朝軍を相手連戦連勝で、イラク制圧したアブー・バクルサーサーン朝交戦しつつ、東ローマ帝国支配するシリア侵攻の準備始めるが(アラブ・東ローマ戦争)、東ローマ軍反撃に出るムスリムシリア方面軍はこれに対応しきれず本国増援求めハーリドイラクから派遣されることになった634年11月、アジュナーダインの戦い英語版)で東ローマ軍敗れてダマスカス陥落したアブー・バクル634年に死ぬと後継者ウマルシリア侵攻続けたウマル折り合い悪かったハーリド更迭されアブー・ウバイダ後任指揮官となったパレスチナ南部平定し南北に走る隊商交易路沿いを北に攻め上がったムスリム軍は、ティベリアバールベック開城させ、635年初頭ホムス占領した

※この「アラブ・東ローマ戦争」の解説は、「ヤルムークの戦い」の解説の一部です。
「アラブ・東ローマ戦争」を含む「ヤルムークの戦い」の記事については、「ヤルムークの戦い」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「アラブ・東ローマ戦争」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アラブ・東ローマ戦争」の関連用語

アラブ・東ローマ戦争のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アラブ・東ローマ戦争のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアラブ・東ローマ戦争 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのヤルムークの戦い (改訂履歴)、東ローマ帝国 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS