シリアを巡る戦いとは? わかりやすく解説

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シリアを巡る戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 00:15 UTC 版)

アラブ・東ローマ戦争」の記事における「シリアを巡る戦い」の解説

アラビア半島統一したムハンマド周辺民族通商使者送っていたが、キリスト教国のガッサーン朝はイスラム使者殺害してしまった。ムハンマドはガッサーン朝に報復するために娘婿ザイド主将とする軍を送り込んだ。ガッサーン朝とその同盟国であった東ローマ帝国はムウタの戦いでイスラム軍を壊滅させた。東ローマサーサーン朝ペルシア帝国との戦いで疲弊しており、イスラム側も内部反抗する部族がいたため、双方望んで和平を結ぶことになったが、イスラム側は東ローマへの怨恨忘れなかった。 634年正統カリフアブー・バクル東ローマ帝国宣戦布告シリア出兵した。イスラム軍はボスラ、アジュナーダインで東ローマ軍勝利し、さらにエルサレム635年ダマスカス占領した東ローマ皇帝ヘラクレイオスシリア奪還しよう636年大軍引き連れてアンティオキア入城し、弟のテオドロスアルメニア系将軍ヴァーハーンに軍勢をたくし、シリアの諸都市奪還させていったイスラム側は東ローマ帝国疲弊させるため、あえて都市放棄しジャーヒヤまで後退していた。 東ローマ軍イスラム軍を殲滅するため、ジャーヒヤへ侵攻開始したヤルムーク川待ち受けていたイスラム軍に大敗し(ヤルムークの戦い)シリア軍団を壊滅させられてしまった。イスラム軍は兵力激減した東ローマ軍攻撃し翌年637年にはエルサレムアレッポアンティオキアをも占領しシリアを完全に制覇した

※この「シリアを巡る戦い」の解説は、「アラブ・東ローマ戦争」の解説の一部です。
「シリアを巡る戦い」を含む「アラブ・東ローマ戦争」の記事については、「アラブ・東ローマ戦争」の概要を参照ください。

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