シリアの混乱とヨナタンの勢力拡大
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「ヨナタン (ハスモン朝)」の記事における「シリアの混乱とヨナタンの勢力拡大」の解説
アレクサンドロス・バラスを支援するエジプト王プトレマイオス6世との友好関係を築き、プトレマイオスの娘クレオパトラ・テアとバラスの婚宴に参加し、贈り物をした(紀元前150年)。紀元前148年頃、バラスに対抗してデメトリオス2世ニカトルがクレタ島よりシリアへ上陸すると、ヨナタンはデメトリオス配下のアポロニオスと対戦し、アシュドドを焼き払った。プトレマイオス6世が北進するとこれを迎え、エレウテロス川まで送り届けた。プトレマイオスとバラスは対立し、両者が相次いで死ぬ(紀元前145年)と、デメトリオス2世がシリアを支配した。デメトリオスは、反乱軍を鎮圧するためヨナタンに支援を求め、ヨナタンの派遣したユダヤ軍は反乱軍を撃破した。しかし、デメトリオスは派兵の見返りとして約束していた、エルサレムのアクラ要塞などから撤兵しなかった。 デメトリオスに対して、将軍ディオドトス・トリュフォンがバラスの子アンティオコス6世ディオニュソスを担いで反乱を起こした。シリアの内乱に乗じてヨナタンはアンティオコスを支援し、兄シモンは要衝ベテズルを制圧した。ヨナタンはハゾル平野にてデメトリオス軍と対決し、一旦は敗れるも、祈って神の許しと助けを求めた。自らとって返し、勝利を挙げた。この間、ローマやスパルタとの同盟を確立するなど外交手腕も発揮した。シモンは続いてヨッパを制圧し、ヨナタンはアクラ要塞の包囲を強化した。
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