クレオパトラ・テアとは? わかりやすく解説

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クレオパトラ・テア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 13:56 UTC 版)

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クレオパトラ・テア
Κλεοπάτρα Θεά
セレウコス朝シリアの女王
クレオパトラ・テアをあしらった硬貨。裏側には二重となった豊穣の角が刻まれており、さらに古代ギリシャ語の文字、「ΒΑΣΙΛΙΣΣΗΣ ΚΛΕΟΠΑΤΡΑΣ ΘΕΑΣ ΕΥΕΤΗΡΙΑΣ」と刻まれている。「ΖΠΡ」はセレウコス朝の187年を意味しており、紀元前126–125のことである。
在位 紀元前126または5年 - 紀元前121年

出生 紀元前164年?
死去 紀元前121年
配偶者 アレクサンドロス1世バラス
  デメトリオス2世ニカトル
  アンティオコス7世シデテス
子女 アンティオコス6世ディオニュソス
セレウコス5世フィロメトル
アンティオコス8世グリュポス
アンティオコス9世キュジケノス
王朝 プトレマイオス朝
父親 プトレマイオス6世
母親 クレオパトラ2世
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クレオパトラ・テア: Κλεοπάτρα Θεάラテン文字表記:Cleopatra Thea、紀元前164年? - 紀元前121年)は、セレウコス朝シリアの女王(在位:紀元前126年または紀元前125年 - 紀元前121年)。プトレマイオス朝エジプトプトレマイオス6世クレオパトラ2世の娘。シリア王アレクサンドロス1世バラスデメトリオス2世ニカトルアンティオコス7世シデテスの妻となる。

生涯

紀元前150年、セレウコス朝でデメトリオス1世ソテルアレクサンドロス1世バラスの王位を巡る内戦が発生すると、プトレマイオス6世はバラスを支援し、娘クレオパトラ・テアと結婚させた。バラスとの子がアンティオコス6世ディオニュソスである。

バラスは勝利したものの、まもなくプトレマイオス6世と対立し、テアは離婚した。バラスはデメトリオス2世ニカトル (同1世の子) に敗北し、テアはニカトルと再婚した(紀元前145年)。ニカトルとの子がセレウコス5世フィロメトル、アンティオコス8世グリュポスである。ニカトルがパルティアとの戦闘で捕虜となってから、ニカトルの弟アンティオコス7世シデテスと再婚し、アンティオコス9世キュジケノスをもうけた。

シデテスがパルティアに殺害されてニカトルが復位するものの、反乱が続き、ニカトルは簒奪者アレクサンドロス2世ザビナスの軍に敗走、妻テアの命令で殺害された(紀元前125年)。

テアは女王として権力を掌握し、息子セレウコス5世フィロメトルを即位させるも、対立し殺害した。フィロメトルに続きアンティオコス8世グリュポスを擁立するが、まもなく対立し、毒殺を図って逆に毒殺された(紀元前121年)。

子女

最初の夫アレクサンドロス1世バラスとの間に以下の子女をもうけた。

2度目の夫デメトリオス2世ニカトル(バラスの対抗者・デメトリオス1世ソテルの子)との間に以下の子女をもうけた。

  • セレウコス5世フィロメトル
  • アンティオコス8世グリュポス

3度目の夫アンティオコス7世シデテス(ニカトルの弟)との間に以下の子女をもうけた。

  • アンティオコス9世キュジケノス
先代:
デメトリオス2世ニカトル
セレウコス朝君主
紀元前125年 - 紀元前121年
次代:
アンティオコス8世グリュポス



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