クレオパトラ・セレネ1世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 統治者・君主 > プトレマイオス朝のファラオ > クレオパトラ・セレネ1世の意味・解説 

クレオパトラ・セレネ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 14:25 UTC 版)

クレオパトラ・セレネ1世
Κλεοπάτρα Σελήνη Α'
プトレマイオス朝ファラオ・女王
セレウコス朝シリアの王妃
在位 ファラオ紀元前115年 - 紀元前107年
シリア王妃:紀元前103年 - 紀元前92年

配偶者 プトレマイオス9世
  シリア王アンティオコス8世グリュポス
  シリア王アンティオコス9世キュジケノス
  シリア王アンティオコス10世エウセベス
子女 ベレニケ3世
家名 プトレマイオス朝
父親 プトレマイオス8世
母親 クレオパトラ3世
テンプレートを表示

クレオパトラ・セレネ1世、またはクレオパトラ5世セレネΚλεοπάτρα Σελήνη Α'ラテン文字表記:Cleopatra Selene I、? - 紀元前69年)は、古代エジプトプトレマイオス朝の王妃(在位:紀元前115年 - 紀元前107年)。父はプトレマイオス8世、母はクレオパトラ3世プトレマイオス9世の姉妹・妻で、ベレニケ3世の母。その後、セレウコス朝シリアの王アンティオコス8世グリュポス、アンティオコス9世キュジケノス、アンティオコス10世エウセベスの妻となる。

生涯

紀元前115年、彼女の姉妹でプトレマイオス9世の妻であるクレオパトラ4世が母クレオパトラ3世に追放されると、プトレマイオス9世と結婚した。2人の間にはベレニケ3世が生まれた。しかし、夫は摂政であるクレオパトラ3世との対立が続き、廃位・復位を繰り返した末、紀元前107年にエジプトを追われ、キプロスへ逃亡し、セレネと離婚することとなった。

紀元前103年、プトレマイオス9世がシリア南部に進出してエジプト占領を図ると、クレオパトラ3世は対抗してシリア王アンティオコス8世グリュポスと同盟し、セレネを8世の妻とした。グリュポスは当時アンティオコス9世キュジケノスと内戦中であり、紀元前96年にグリュポスが暗殺されると、キュジケノスはアンティオキアを占領し、セレネと結婚した。

紀元前95年、キュジケノスはグリュポスの子セレウコス6世に殺害され、セレネはキュジケノスの子アンティオコス10世エウセベスと結婚した。2人の間の子がセレウコス7世アンティオコス13世である(ただし、セレウコス7世の存在は確証されていない)。

エウセベスはパルティアとの戦闘で死亡し、セレネは身を案じてキリキアに滞在した。

紀元前80年、エジプトでプトレマイオス11世が殺害され直系の子孫が断絶すると、セレネは自分の子供を統治者に据えようと目論むが、エジプトではプトレマイオス12世が擁立され、ローマの介入を期待したものの失敗した。紀元前69年、セレネはプトレマイスでアルメニア王ティグラネス2世に捕らえられ、セレウキアにて処刑された。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「クレオパトラ・セレネ1世」の関連用語

クレオパトラ・セレネ1世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クレオパトラ・セレネ1世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクレオパトラ・セレネ1世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS