プトレマイオス13世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 政治家 > 統治者・君主 > 幼君 > プトレマイオス13世の意味・解説 

プトレマイオス13世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/05 04:12 UTC 版)

プトレマイオス13世
Πτολεμαίος ΙΓ
古代エジプト ファラオ
統治期間 紀元前51年 - 紀元前47年プトレマイオス朝
前王 プトレマイオス11世
次王 プトレマイオス14世
配偶者 クレオパトラ7世
プトレマイオス12世
出生 紀元前63年
死去 紀元前47年
テンプレートを表示
プトレマイオス13世(17世紀の画家エリザベト・ソフィ・シェロンが紀元前1世紀のメダルをもとに描いた書籍の挿絵)

プトレマイオス13世Πτολεμαίος ΙΓ', 紀元前63年 - 紀元前47年)は、エジプトヘレニズム国家プトレマイオス朝ファラオ(在位:紀元前51年 - 紀元前47年)。プトレマイオス12世の子で姉にベレニケ4世クレオパトラ7世アルシノエ4世、弟にプトレマイオス14世

父の遺言により姉クレオパトラ7世と7歳でエジプトを共同統治であったが、実質クレオパトラの単独統治であった[1]。そのことを不満に覚えた幼いプトレマイオス13世はポティノスら宮廷官人に奉られ、姉を追放しエジプトを統治しようと内戦を起こす。一時は首都アレクサンドリアを掌握し姉を追放した。 その頃ローマ内戦でカエサルに敗北したローマの将軍グナエウス・ポンペイウスがエジプトに逃亡してきた。当初は歓迎したが、カエサルを恐れてを殺害した。だが、カエサルは逆にエジプトとプトレマイオス13世に不評を買う。 その後、ローマの介入を招き、姉を支持したガイウス・ユリウス・カエサルによって殺害される(ナイルの戦い)。

異説に「戦争によって追い詰められ、船から転落して鎧の重さで浮き上がれず溺死」というものがある。

関連項目

脚注

  1. ^ 東京国立博物館”. 1089ブログ (2015年7月7日). 2025年1月30日閲覧。

プトレマイオス13世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 20:53 UTC 版)

ROME[ローマ]」の記事における「プトレマイオス13世」の解説

エジプトの王。7歳で姉クレオパトラ兄弟婚行いエジプト共同統治する。のちクーデター起こして姉をアレクサンドリアから追放する

※この「プトレマイオス13世」の解説は、「ROME[ローマ]」の解説の一部です。
「プトレマイオス13世」を含む「ROME[ローマ]」の記事については、「ROME[ローマ]」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「プトレマイオス13世」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プトレマイオス13世」の関連用語

プトレマイオス13世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プトレマイオス13世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのプトレマイオス13世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、WikipediaのROME[ローマ] (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS