カエサルとの出会いとは? わかりやすく解説

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カエサルとの出会い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:01 UTC 版)

クレオパトラ7世」の記事における「カエサルとの出会い」の解説

プルタルコスによると、カエサル召喚され女王は、シチリア人友人夜陰乗じて忍び込み寝具袋に入った彼女を友人に縛らせ、カエサル元に運ばせたといい、この大胆なクレオパトラに魅せられたカエサルは、きょうだいであるプトレマイオス13世との仲を取り持ったという。寝具ではなく絨毯包んで届けさせたと説明されることが多い(古代エジプトでは、贈り物賄賂として宝物絨毯包んで渡す習慣があり、クレオパトラ宝物ではなく自らの身体贈ったのだとする)が、史料では確認できない。 しかし、クレオパトラカエサル愛人となったことを知ったプトレマイオス13世は「怒り心頭発し王冠をはずし、地面叩きつけた」といわれる結局カエサルローマ敵対するプトレマイオス13世攻め殺しアルシノエ4世捕らえることに成功したクレオパトラもう一人の弟プトレマイオス14世結婚し共同統治という形で復位したが、実質は彼女一人による統治で、紀元前47年カエサルの子カエサリオン産んでいる。クレオパトラは、カエサリオンを産むことでローマによるプトレマイオス朝属州防止や、自己の地位安定計ったではないかとも考えられる紀元前46年7月カエサルローマ市戻り凱旋式4度わたって挙行した。この頃完成したカエサルのフォルムにはクレオパトラ黄金像立てられたが、これはウェヌス神殿のすぐ側であり、問題視された。クレオパトラは、プトレマイオス14世カエサリオンと共にカエサルティベリス川沿いの別荘滞在しカエサルとスキャンダル噂された。この間キケロローマ有力者面会したようである。 紀元前44年6月13日キケロよりアッティクスカエサル別荘にいた時の女王傲慢さときたら思い出したくもない。だから私はもう一切関わりたくない。 —キケロアッティクス宛書簡』15.15

※この「カエサルとの出会い」の解説は、「クレオパトラ7世」の解説の一部です。
「カエサルとの出会い」を含む「クレオパトラ7世」の記事については、「クレオパトラ7世」の概要を参照ください。

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