カエサルと
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 05:40 UTC 版)
「ルキウス・アウレリウス・コッタ (紀元前65年の執政官)」の記事における「カエサルと」の解説
次にコッタの名前が歴史に登場するのは。紀元前49年である。このときポンペイウスはカエサルとの内戦の準備を進めており、彼の支持者に属州を分配していた。コッタとルキウス・マルキウス・ピリップス(紀元前56年執政官でカエサルの親戚)は、この属州分配から外されている。紀元前44年、コッタはシビュラの書を管理する15人委員会の一員となっていた。このときに、書によれば王だけがパルティアを倒すことができるとされ、カエサルを王位に付かせることをコッタが計画していると噂されていた。 コッタに関する最後の記録は、紀元前44年9月、すなわちカエサル暗殺から約半年後のことである。キケロは「コッタは絶望して、元老院に出席することはほとんどない」と書いている。
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