カエサル、ヒスパニア上陸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:31 UTC 版)
「ムンダの戦い」の記事における「カエサル、ヒスパニア上陸」の解説
紀元前46年11月、カエサルは元老院派を討伐する為にローマを発って、自らが信頼を置く第10軍団エクェストリスや第5軍団アラウダエ、新しく組織された第3軍団ガッリカや第6軍団フェッラタ等のローマ軍を率いて(軍団兵の中にはヒスパニアで採用した現地人も多かったとされる)、同年12月にヒスパニアへ到着した。なお、この時にカエサルの甥に当るガイウス・オクタウィウス・トゥリヌス(後の初代ローマ皇帝・アウグストゥス)がカエサル軍に帯同する予定であったが、トゥリヌスの体調が優れなかったこともあり叶わなかった。 カエサル軍の突然のヒスパニア上陸を利用した形で、カエサルはウリピア(Ulipia)を攻撃していた小ポンペイウスの軍を排除したものの、セクストゥスが守備するコルドバを陥落させることは出来なかった。ラビエヌスの助言で小ポンペイウスは野戦を避けると決めた為、カエサルは兵糧を求めると共に陣営地を築いた。その後、カエサル軍はAteguaを攻囲戦の末に陥落させたが、これによってポンペイウス軍への信用と軍の士気に大きな打撃を与え、ポンペイウス軍に加わった現地兵が陣営を離れたり、元老院派のローマ軍団兵の中にはカエサル軍への帰順を計画する者もいた。この為、ポンペイウス軍は持久戦を放棄して、カエサルとの会戦を決意せざるを得なかった。
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