カエサル、ヒスパニア制圧
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/21 17:05 UTC 版)
「イレルダの戦い」の記事における「カエサル、ヒスパニア制圧」の解説
アフラニウスらを下したカエサル軍はヒスパニア・キテリオルへ更に進軍。イレルダでの元老院派の敗北を聞いたウァロは現地の神殿の金や聖器を没収、食糧を強制徴収して軍備を整えた上で、2個軍団を率いてガデス(現:カディス)に入ってカエサル軍の足止めして、味方の救援を待つ作戦を取ろうとした が、ガデスはウァロ軍の町への入城を拒み、近隣のコルドバやイタリカ(Italica)もカエサル軍への支持を表明した。進退窮まったウァロはカエサルへ降伏して、カエサルはウァロの配下にあった2個軍団を解体した。ウァロもアフラニウスらと同様にギリシアへと逃れた。 9月までにヒスパニア全土を占領したカエサルは、10月にカエサルに敵対していたマッシリアの戦後処理を行い、紀元前48年1月にギリシアへ向かった。
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