カエサル、ゲルゴウィア撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 22:38 UTC 版)
「ゲルゴウィアの戦い」の記事における「カエサル、ゲルゴウィア撤退」の解説
リタウィックスによる反ローマの煽動はガリア全土に広まって、ガリアに居住するローマ人は殺害もしくは奴隷として収奪された。これら反ローマの動きの高まりや、ハエドゥイ族の不穏な動きにより自軍の兵站に不安が生じたこともあって、カエサルはゲルゴウィアで包囲しているローマ軍が危地にあることを悟り、この期に及んではゲルゴウィアからウェルキンゲトリクスを誘き出すことが勝利を掴む唯一のチャンスであると判断した。 戦略上不利な立地(城壁の上で戦うガリア軍と城壁の下から攻め上るローマ軍)にもかかわらず、いくつかの城壁の拠点を奪取したものの、数と立地の不利は大きく、ウェルキンゲトリクスもカエサルの意図を見抜いてゲルゴウィアの守備に戦力を集中させたことから、ローマの劣勢は拭えなかった。第10軍団エクェストリスの奮闘により壊走には至らなかったものの、46名のケントゥリオ(百人隊長)および700名以上のローマ軍団兵が戦死、6,000名以上が負傷するという大きな被害を受けた。カエサルはゲルゴウィアの包囲を解いたものの、ウェルキンゲトリクスはゲルゴウィアから城外へ出撃する様子を見せなかったため、カエサルはエラウェル川を再び渡って、ハエドゥイ族(ウィリドマルス派)の領土へと撤退した。この戦いはカエサルの喫した数少ない敗北の一つである。 この結果もあって、ガリアの内、レミ族・リンゴネス族およびゲルマン人と交戦状態にあるトレウェリ族以外の100以上もの部族がガリア連合軍に結集することとなった。しかし、カエサルは撤退しながらゲルマン人騎兵を補充、追撃したガリア連合軍を迎撃した。敗れたウェルキンゲトリクスはアレシアへ後退、ローマ軍は包囲に取り掛かった。以後はアレシアの戦いを参照。
※この「カエサル、ゲルゴウィア撤退」の解説は、「ゲルゴウィアの戦い」の解説の一部です。
「カエサル、ゲルゴウィア撤退」を含む「ゲルゴウィアの戦い」の記事については、「ゲルゴウィアの戦い」の概要を参照ください。
- カエサル、ゲルゴウィア撤退のページへのリンク