プトレマイオス15世とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > プトレマイオス15世の意味・解説 

プトレマイオス15世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/26 16:17 UTC 版)

プトレマイオス15世
Πτολεμαῖος Καισαρίων
古代エジプト ファラオ
統治期間 紀元前44年 - 紀元前30年プトレマイオス朝
共同統治者 クレオパトラ7世
前王 クレオパトラ7世
次王 アウグストゥス
ユリウス・カエサル?(実父はマルクス・アントニウス?)
クレオパトラ7世
出生 紀元前47年6月23日
死去 紀元前30年8月23日 (17歳没)
テンプレートを表示
デンデラ神殿にあるクレオパトラ7世とカエサリオンのレリーフ

プトレマイオス15世カエサリオン: Πτολεμαῖος Καισαρίων, : Ptolemy XV Caesarion, 紀元前47年[1] - 紀元前30年8月23日[要出典])は、プトレマイオス朝最後のファラオ(在位:紀元前44年 - 紀元前30年)。

生涯

共和政ローマの将軍ユリウス・カエサルクレオパトラ7世の子。カエサリオンは「小カエサル」を意味する。異父弟妹にアレクサンドロス・ヘリオス、クレオパトラ・セレネ、プトレマイオス・フィラデルフォスがいる。

母クレオパトラ7世とエジプトを共同統治していたプトレマイオス14世が紀元前44年に死去すると、プトレマイオス15世としてエジプトのファラオとなった。紀元前34年には諸王の王と称された。

カエサルの養子で後継者であるオクタウィアヌス(のちのアウグストゥス)との正統性に関する抗争の道具にされ、アクティウムの海戦ののちクレオパトラ7世はカエサリオンを国外に逃亡させようとした。しかし、紀元前30年のクレオパトラ7世の死後、教育係の裏切りによってオクタウィアヌスに捕らえられて殺害され、ここにプトレマイオス朝は滅亡した。

クレオパトラがマルクス・アントニウスともうけていたクレオパトラ・セレネなど、子供たち3人は、アントニウスの前妻である小オクタウィアに預けられ、ローマでオクタウィアヌスの親戚として厚遇された。カエサリオンはオクタウィアヌスと同じく「カエサルの後継者である」可能性を持つため殺害されたのだと見られる。

殺害されたことから少なくともオクタウィアヌスは、カエサリオンがカエサルの実子であると認識していたようである[2]

実父について

カエサリオンの実父について古代の記録は意見が分かれているが、実父は前述の通りカエサルである可能性が高く、現代の学者のほとんどがこの説を受け入れている[3]

出典

  1. ^ Gray-Fow, p. 44.
  2. ^ Gray-Fow, p. 64.
  3. ^ Gray-Fow, p. 43.

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  プトレマイオス15世のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プトレマイオス15世」の関連用語

プトレマイオス15世のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プトレマイオス15世のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのプトレマイオス15世 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS