イコノクラスム
(聖像破壊運動 から転送)
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イコノクラスム(英語: iconoclasm, ギリシア語: εικονοκλασία, εικονομαχία)とは、宗教的に崇められる画像を破壊する運動である[1](英語においては「因習の打破」の意味もあるが[1]、本項では「破壊運動」に当たる事項のみを扱う)。
- ^ a b Iconoclast Definition & Meaning Merriam-Webster Dictionary
- ^ CATHOLIC ENCYCLOPEDIA: Iconoclasm
- ^ 宮下規久朗『欲望の美術史』光文社、2013年、169頁。ISBN 978-4-334-03745-1。
- 1 イコノクラスムとは
- 2 イコノクラスムの概要
- 3 概要
- 4 宗教的な動機以外のもの
- 5 参考文献
聖像破壊運動(イコノクラスム、8世紀から9世紀前半)
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「イコン」の記事における「聖像破壊運動(イコノクラスム、8世紀から9世紀前半)」の解説
詳細は「イコノクラスム」を参照 7世紀にイスラムが興り、東ローマ帝国と戦火を交えるようになると、一切の宗教画を用いないイスラムに影響されて、イコン(聖像)を否定する考えが教会内に広がった。 726年から、東ローマ帝国皇帝レオン3世は、本格的に聖像廃止に取り掛かった(同年、サントリーニ火山が噴火しており、皇帝はこれを神からのイコンへの怒りと解釈した)。727年には、宮殿の門にかかっていたハリストス(キリスト)のイコンを破壊しようとしていた兵士たちが、イコン廃止に反対する婦人たちによって梯子から引きずり落とされ死傷者が出た事件をきっかけに、イコン賛成者たちは海軍とともに反乱を起こした。反乱は皇帝によってすぐに鎮圧されたが、これが帝国中におけるイコンの是非を巡る論争の始まりであった。730年にはレオン3世は自身への同調者を集めて公会議を開き、イコンを禁止する命令を発布した。 高橋保行によれば、レオン3世がイコン廃止を打ち出した時期には、イコン反対論者が多く存在していたアルメニア、シリア北部出身の兵士が帝国の防衛にとって重要となっており、彼らへの配慮がイコン禁止令の背景にあったとされる。ただしイコノクラスム(聖像破壊運動)の原因については、イコノクラスムを行った(イコンを破壊した)当事者の側の史料が殆ど残っていないため、研究すること自体が極めて困難である。 レオン3世は741年に永眠したが、コンスタンティノス5世はイコン禁止の姿勢を父帝から継承。総主教の出席を欠き要件を満たさない「公会議」を開催し(総主教が出席しなかったことから「頭なしの会議」とも呼ばれる、754年)、イコン賛成論者を異端と決議し、762年から本格的に迫害を開始した。修道院は、イコンを制作していたことと、兵役に適齢である若者を修道士として受け入れていたことから、特に弾圧の対象となった。ただしブルガール人が帝国の北境を脅かしたため皇帝は防衛に忙殺され、イコン論争に最終的な決着を付けることなく永眠した。 こうしたイコノクラスムを行った皇帝達には、「神事に仕えるものとして定められた」教権と、「この世の事に良き秩序を与えるものとして定められた」帝権とが区別された(ユスティニアヌス1世による『新勅法』6、535年)東ローマ帝国において、教権と帝権の両権の掌握を強硬に主張したという特徴がある。レオン3世は「余は皇帝にして司祭長なり」と述べたと伝えられる。 こうして8世紀から9世紀前半にかけて(726年 – 787年、815年 – 843年)、イコン破壊が断続的に東ローマ帝国全土で行われた。破壊運動が徹底的に行われた結果、それ以前の東ローマ帝国におけるイコンは、シナイ半島にある聖カタリナ修道院が所蔵する僅かなものやテッサロニキに遺された僅かなモザイク画イコンの他は残されておらず、他には西欧においてモザイク画イコンが僅かに残されているのみである。また1世紀以上にわたりイコンの発展は妨げられ、教会の精神性と神秘性が低迷したと正教会からは評される。 教会は帝権に対し、暴力ではなく致命(殉教)によって積極的に抵抗した。ダマスコのイオアンはこうした皇帝の主張に対して、「帝よ、我らこの世の政や人頭税や通行税などにおいては爾に忠実なるも、教会の仕組みにては我らに言葉を述べ、教会規程を定めし牧者を別に戴きおるなり。」と反駁した。また修道士達は、信仰の事柄に関する決定は帝国のあずかり知らぬことであるとしてイコン擁護にまわった(例:克肖者表信者ヴァシリオス)。
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