聖像破壊運動とは? わかりやすく解説

イコノクラスム

(聖像破壊運動 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 22:04 UTC 版)

イコノクラスム英語: iconoclasm, ギリシア語: εικονοκλασία, εικονομαχία)とは、宗教的に崇められる画像破壊する運動である[1](英語においては「因習の打破」の意味もあるが[1]、本項では「破壊運動」に当たる事項のみを扱う)。




「イコノクラスム」の続きの解説一覧

聖像破壊運動(イコノクラスム、8世紀から9世紀前半)

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イコン」の記事における「聖像破壊運動(イコノクラスム8世紀から9世紀前半)」の解説

詳細は「イコノクラスム」を参照 7世紀イスラム興り東ローマ帝国戦火交えるうになると、一切宗教画用いないイスラム影響されて、イコン聖像)を否定する考え教会内に広がった726年から、東ローマ帝国皇帝レオン3世は、本格的に聖像廃止取り掛かった同年サントリーニ火山噴火しており、皇帝はこれを神からのイコンへの怒り解釈した)。727年には、宮殿の門にかかっていたハリストスキリスト)のイコン破壊しようとしていた兵士たちが、イコン廃止反対する婦人たちによって梯子から引きずり落とされ死傷者出た事件きっかけに、イコン賛成者たちは海軍とともに反乱起こした反乱皇帝によってすぐに鎮圧されたが、これが帝国中におけるイコンの是非を巡る論争始まりであった730年にはレオン3世自身への同調者集めて公会議開きイコン禁止する命令発布した高橋保行によればレオン3世イコン廃止打ち出した時期には、イコン反対論者多く存在していたアルメニアシリア北部出身兵士帝国防衛にとって重要となっており、彼らへの配慮イコン禁止令の背景にあったとされる。ただしイコノクラスム(聖像破壊運動)の原因については、イコノクラスム行ったイコン破壊した当事者の側の史料が殆ど残っていないため、研究すること自体極めて困難である。 レオン3世741年永眠したが、コンスタンティノス5世イコン禁止姿勢父帝から継承総主教出席欠き要件満たさない公会議」を開催し総主教出席しなかったことから「頭なしの会議」とも呼ばれる754年)、イコン賛成論者を異端決議し762年から本格的に迫害開始した修道院は、イコン制作していたことと、兵役適齢である若者修道士として受け入れていたことから、特に弾圧対象となった。ただしブルガール人帝国北境脅かしたため皇帝防衛忙殺されイコン論争最終的な決着付けことなく永眠したこうしたイコノクラスム行った皇帝達には、「神事仕えるものとして定められた」教権と、「この世の事に良き秩序与えるものとして定められた」帝権とが区別された(ユスティニアヌス1世による『新勅法』6、535年東ローマ帝国において、教権帝権の両掌握強硬に主張したという特徴がある。レオン3世は「余は皇帝にして司祭長なり」と述べた伝えられる。 こうして8世紀から9世紀前半にかけて(726年787年815年843年)、イコン破壊断続的に東ローマ帝国全土行われた破壊運動徹底的に行われた結果それ以前東ローマ帝国におけるイコンは、シナイ半島にある聖カタリナ修道院所蔵する僅かなものやテッサロニキに遺された僅かなモザイク画イコンの他は残されておらず、他には西欧においてモザイク画イコン僅かに残されているのみである。また1世紀以上にわたりイコン発展妨げられ教会精神性神秘性低迷した正教会からは評される教会帝権対し暴力ではなく致命殉教)によって積極的に抵抗したダマスコのイオアンはこうした皇帝主張に対して、「帝よ、我らこの世の政や人頭税通行税などにおいては爾に忠実なるも、教会仕組みにては我ら言葉述べ教会規程定めし牧者別に戴きおるなり。」と反駁した。また修道士達は、信仰事柄に関する決定帝国あずかり知らぬことであるとしてイコン擁護まわった(例:克肖者表信者ヴァシリオス)。

※この「聖像破壊運動(イコノクラスム、8世紀から9世紀前半)」の解説は、「イコン」の解説の一部です。
「聖像破壊運動(イコノクラスム、8世紀から9世紀前半)」を含む「イコン」の記事については、「イコン」の概要を参照ください。

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