シナイ半島とは? わかりやすく解説

シナイ‐はんとう〔‐ハンタウ〕【シナイ半島】

読み方:しないはんとう

Sinaiエジプト北東部紅海突き出た三角形半島。ほぼ全域砂漠


シナイ半島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 02:36 UTC 版)


ナイル川河口(写真左半分)とシナイ半島(右半分)

シナイ半島の位置

左がスエズ湾、右がアカバ湾
アカバ湾の最奥部(シナイ半島の東側の付け根)に位置する都市エイラートの北、エジプトとイスラエルの国境線。画像奥が北。

シナイ半島(シナイはんとう、ヘブライ語: חצי האי סיני‎, Chetzi HaYi Sinai‎、アラビア語: شبه جزيرة سيناء‎, Shibh Jazīrat Sīnā'‎)は、西アジアアラビア半島アフリカ大陸北東部の間にある半島スエズ運河の開鑿前は、アフリカ大陸とユーラシア大陸を繋ぐ地峡であった。北は地中海、南は紅海、東はアカバ湾、西はスエズ湾にそれぞれ面している。南へ向けた三角形の形状をしており、南端にはムハンマド岬。南部にはシナイ山がある。

行政上はエジプト・アラブ共和国北シナイ県南シナイ県にあたる。2013年の人口は59万2222人[1]。住民の多くはベドウィンである。南シナイ県は紅海とアカバ湾にはさまれた三角形で、沿岸地方で観光開発が行われ、外国人観光客が訪れる高級リゾート地がある。また、紅海は美しいダイビングスポットとして知られる。北シナイ県は西にスエズ運河、東にはイスラエルに面し、北東端でパレスチナ自治区パレスチナ国ガザ地区と接する。東側にファラオ島がある。

歴史

古代エジプトは、シナイ半島を経由してパレスチナシリア方面に進出したり、逆に侵入を受けたりした。

出エジプトヘブライ人らはシナイ半島へ渡り、モーセシナイ山十戒を授かったとされる。シナイ山(ガバル・ムーサ)の麓には、337年にコンスタンティヌス帝の母ヘレナによって創建された聖カトリーナ修道院がある。

古代におけるナバテア王国ローマ帝国東ローマ帝国の領土を経て、中世から近世にかけてウマイヤ朝アッバース朝ファーティマ朝アイユーブ朝マムルーク朝オスマン帝国と興亡するイスラム王朝の領域へと次々と移り変わっていった。

17世紀に入りオスマン帝国に陰りが見え始めると、オスマン帝国から独立したムハンマド・アリーによるムハンマド・アリー朝の支配下に置かれた。19世紀から20世紀半ばにかけてはエジプト全土とともにイギリスの勢力圏となり、1869年には西側にスエズ運河が建設された。

第二次世界大戦後は繰り返し中東戦争の戦場となった。第一次中東戦争(1948~49年)では、イスラエルを攻撃するエジプト軍が策源地として利用した。1952年エジプト革命が起きると、そのままエジプト・アラブ共和国の領土となった。第二次中東戦争(1956~57年)ではイスラエルがほぼ全域を制圧したが、米ソの介入で撤退。第三次中東戦争(1967年)で再びイスラエルに占領英語版され、第四次中東戦争(1973年)でも戦場となった。1978年のキャンプ・デービッド合意によりエジプトへ返還されることとなり、その後、順次返還された。

軍事的な要地ではあるが、南部の一部リゾート地を除いて経済開発は進んでおらず、住民のための水道・医療・教育などの公共サービスは不十分なままである。1990年代にイスラーム過激派組織が結成され、2004年にタバ、2005年にシャルム・エル・シェイク、2006年にダハブで外国人観光客を狙った爆破事件が起きた。2011年の革命の後はさらに治安が悪化し、様々な過激派組織が、天然ガスのパイプラインの破壊、イスラエルに対する越境攻撃、エジプト軍と警察に対する襲撃といった武装闘争を展開している[1]

2015年にはロシアの旅客機が墜落する事件が起き、ISIL系列のイスラム国(ISIL)シナイ州が犯行声明を出した。2018年には、シナイ半島の過激派をイスラエルが秘密裏に空爆し、エジプト政府もこれを容認していると報じられた[2][3]

主な都市

アカバ湾のリゾート、ダハブ

脚注

  1. ^ a b 金谷美紗「揺れるシナイ半島 イスラーム過激派の台頭と民主化への影響」、『中東研究』519号(2014年2月)。
  2. ^ エジプト・イスラエル 対IS呉越同舟 シナイ半島でテロ掃討/米紙報道(記事)『毎日新聞』朝刊2018年2月6日
  3. ^ Secret Alliance:Israel Carries Out Airstrikes in Egypt, With Cairo’s O.K.(記事)The New York Times、2018年2月3日

シナイ半島

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/12 03:57 UTC 版)

トルコ石」の記事における「シナイ半島」の解説

少なくとも第1王朝紀元前3000年頃)または恐らくそれ以前から、エジプトではトルコ石がシナイ半島でエジプト人によって採掘され用いられていた。現地のMonitu人はシナイ半島を「トルコ石の国」と呼んでいた。この地域にはおよそ650平方キロメートルに渡る6か所の鉱山があり、それらすべては半島南海岸にある。これらの中で歴史上もっとも重要なのは、セラビト・エル・カジムと、ワジ・マガレであり、知られ鉱山の中で最古のものだと言われている。前者ハトホルのための古代神殿から4キロメートルの場所にある。 このトルコ石は、玄武岩覆われているか、またはもともと覆われていた砂岩の中で見つかる。採掘が現在でもこの地域行われている。大規模なトルコ石採掘今日では採算合わないが、鉱脈ベドウィン自家製火薬使って散発的に採石している。が多い冬の季節には、採掘者は鉄砲水危険に曝される乾季ですら、無計画に採掘され砂岩の壁が崩壊して死ぬこともあるらしい。シナイ半島のトルコ石色合いは、一般的にイランのものよりも緑がかっているが、安定でかなり耐久性があると考えられている。しばしばエジプトトルコ石呼ばれているが、シナイ半島のものは一般に最も透明で、拡大鏡観察する表面構造には他の産地のものには見られない青色円盤散りばめられているのが見える。 イスラエルエイラト近くでは、トルコ石クジャク石、珪クジャク石魅力的な合生が見つかっている。この岩はエイラト石と呼ばれ、しばしばイスラエルの国の石とも言われるエイラト石は現地職人によって加工され観光客売られている。

※この「シナイ半島」の解説は、「トルコ石」の解説の一部です。
「シナイ半島」を含む「トルコ石」の記事については、「トルコ石」の概要を参照ください。

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