シナイ半島方面
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シナイ半島方面ではエジプト軍の5個歩兵師団がスエズ運河を渡河、橋頭保を築くと同時に運河沿いに作られたイスラエル軍の拠点群、通称「バーレブ・ライン」に対して攻撃をかけた。イスラエル軍はすぐさま第252機甲師団(3個旅団基幹、以下第252師団)と空軍機が反撃を行ったものの、第252師団の3個機甲旅団はすべてエジプト軍の構築した対戦車兵器による防衛網によって次々と壊滅させられた。空軍機も同様に、低空用・高空用対空火器を巧妙に組み合わせたエジプト軍の「ミサイルの傘」の前にほとんど有効な航空攻撃を行えなかった。 ゴラン高原同様7日から8日にかけてイスラエル軍予備役部隊の第162予備役機甲師団(以下第162師団)と第143予備役機甲師団(以下第143師団)が到着、8日にはこれら2個師団による反撃が行われたが、第162師団は6日同様エジプト軍の対戦車兵器によって大損害をこうむり、第143師団は戦場を迷走したためほとんど戦闘に参加できず、イスラエル軍の反撃は再び失敗した。 一方、エジプト軍は「スエズ運河東岸に橋頭保を築いて停戦を待ち、シナイ半島は戦後交渉によって奪還する」という作戦の第一段階が完了したため、むやみな攻撃をかけずに橋頭保の強化につとめ、戦況は膠着状態となった。
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シナイ半島方面
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8日以降戦況は膠着し、大規模戦闘はなかったものの、シリアから自国の苦戦を救うためシナイ半島での攻勢がエジプトに要請された。このためエジプト軍は全面攻勢を開始、10月14日、イスラエル軍との間に大規模な戦車戦が発生した。「ミサイルの傘」を出たエジプト軍は待ち伏せするイスラエル地上軍だけでなく空軍からも苛烈な反撃を受け、エジプト軍が約200輌の戦車を喪失、攻撃は失敗した。この戦闘の勝利によってイスラエル軍はシナイ半島でも戦闘の主導権を取り戻し、スエズ運河の逆渡河作戦を進めることとなった。 15日、イスラエル軍の逆渡河作戦「ガゼル作戦」(Operation Gazelle)が開始された 。イスラエル軍は渡河点近郊の農業試験場、通称「中国農場」などでエジプト軍の強固な抵抗にあったものの、16日未明には空挺旅団と戦車旅団が逆渡河に成功、17日には第162師団主力が渡河、対空ミサイル基地を掃討しながら「アフリカへの進撃」を開始した。
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シナイ半島方面
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第162師団に続きスエズ運河を渡河した第143、第252師団の計3個師団は、運河東岸のエジプト第2軍・第3軍を包囲しようとイスマイリア・スエズ市に向けて進撃した。第143師団はイスマイリア郊外で進軍を停止、第162師団は運河西岸を確保、第252師団はカイロ―スエズ街道を封鎖し、エジプト第3軍を包囲、停戦交渉の「人質」とした。第三次中東戦争同様エジプトが再び決定的敗北を喫することを危惧したアメリカ・ソ連をはじめとする国連安全保障理事会(以下安保理)は停戦工作を推し進め、10月22日、停戦を求めた国連安保理決議第338号が決議され、同日18時52分より発効した。しかしイスラエル軍は作戦行動を続け、24日には162師団がスエズ市攻略を強行したが、守備部隊の抵抗にあって失敗した。25日には国連安保理決議340にしたがって第二次国際連合緊急軍が編成され、停戦監視の任につくようになった。
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シナイ半島方面(南部戦線)
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「10月14日の戦車戦」の記事における「シナイ半島方面(南部戦線)」の解説
詳細は「イスラエル軍の第一次反撃戦 (第四次中東戦争)(英語版)」を参照 スエズ運河を渡河したエジプト第2・第3軍に対するイスラエル南部方面軍の10月8日~9日の反撃が大きな損害を出して失敗して以降、シナイ半島方面の戦況は膠着状態を見せていた。イスラエル軍は南部での反撃失敗により「北部(ゴラン高原)重視」の方針を決めており、部隊の再編に当たっていた。エジプト軍もスエズ運河を渡河したのちは橋頭堡を維持しながら停戦決議を待つ方針で、以降は大規模な作戦行動は取らず、イスラエル軍の前線に小規模な襲撃をかけることに終始していた。
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