シナイ半島方面とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > シナイ半島方面の意味・解説 

シナイ半島方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:36 UTC 版)

第四次中東戦争」の記事における「シナイ半島方面」の解説

シナイ半島方面ではエジプト軍の5個歩兵師団スエズ運河渡河橋頭保を築くと同時に運河沿いに作られイスラエル軍拠点群通称バーレブ・ラインに対して攻撃をかけた。イスラエル軍すぐさま252機甲師団(3個旅団基幹、以下第252師団)と空軍機が反撃行ったものの、第252師団の3個機甲旅団はすべてエジプト軍構築した対戦車兵器による防衛網によって次々と壊滅させられた。空軍機も同様に低空用・高空対空火器巧妙に組み合わせたエジプト軍の「ミサイルの傘」の前にほとんど有効な航空攻撃行えなかった。 ゴラン高原同様7日から8日にかけてイスラエル軍予備役部隊の第162予備役機甲師団(以下第162師団)と第143予備役機甲師団(以下第143師団)が到着8日にはこれら2個師団による反撃が行われたが、第162師団6日同様エジプト軍対戦車兵器によって大損害をこうむり、第143師団戦場迷走したためほとんど戦闘参加できず、イスラエル軍反撃は再び失敗した一方エジプト軍は「スエズ運河東岸橋頭保築いて停戦待ちシナイ半島戦後交渉によって奪還する」という作戦第一段階完了したため、むやみな攻撃をかけずに橋頭保強化につとめ、戦況膠着状態となった

※この「シナイ半島方面」の解説は、「第四次中東戦争」の解説の一部です。
「シナイ半島方面」を含む「第四次中東戦争」の記事については、「第四次中東戦争」の概要を参照ください。


シナイ半島方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:36 UTC 版)

第四次中東戦争」の記事における「シナイ半島方面」の解説

8日以降戦況膠着し大規模戦闘はなかったものの、シリアから自国苦戦を救うためシナイ半島での攻勢エジプト要請された。このためエジプト軍全面攻勢開始10月14日イスラエル軍との間に大規模な戦車戦発生した。「ミサイルの傘」を出たエジプト軍待ち伏せするイスラエル地上軍だけでなく空軍からも苛烈反撃を受け、エジプト軍が約200輌の戦車喪失攻撃失敗した。この戦闘勝利によってイスラエル軍シナイ半島でも戦闘主導権取り戻しスエズ運河の逆渡河作戦進めることとなった15日イスラエル軍の逆渡河作戦ガゼル作戦」(Operation Gazelle)が開始された 。イスラエル軍渡河近郊農業試験場通称中国農場」などでエジプト軍強固な抵抗にあったものの、16日未明には空挺旅団戦車旅団が逆渡河成功17日には第162師団主力渡河対空ミサイル基地掃討しながらアフリカへ進撃」を開始した

※この「シナイ半島方面」の解説は、「第四次中東戦争」の解説の一部です。
「シナイ半島方面」を含む「第四次中東戦争」の記事については、「第四次中東戦争」の概要を参照ください。


シナイ半島方面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 05:36 UTC 版)

第四次中東戦争」の記事における「シナイ半島方面」の解説

162師団続きスエズ運河渡河した第143、第252師団の計3個師団は、運河東岸エジプト第2軍第3軍包囲しようとイスマイリア・スエズ市に向けて進撃した。第143師団イスマイリア郊外進軍停止、第162師団運河西岸確保、第252師団カイロスエズ街道封鎖しエジプト第3軍包囲停戦交渉の「人質」とした。第三次中東戦争同様エジプトが再び決定的敗北喫することを危惧したアメリカ・ソ連をはじめとする国連安全保障理事会(以下安保理)は停戦工作推し進め10月22日停戦求めた国連安保理決議第338号が決議され同日1852分より発効した。しかしイスラエル軍作戦行動続け24日には162師団スエズ攻略強行したが、守備部隊抵抗にあって失敗した25日には国連安保理決議340にしたがって第二次国際連合緊急軍編成され停戦監視の任につくようになった

※この「シナイ半島方面」の解説は、「第四次中東戦争」の解説の一部です。
「シナイ半島方面」を含む「第四次中東戦争」の記事については、「第四次中東戦争」の概要を参照ください。


シナイ半島方面(南部戦線)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 14:15 UTC 版)

10月14日の戦車戦」の記事における「シナイ半島方面(南部戦線)」の解説

詳細は「イスラエル軍第一次反撃戦 (第四次中東戦争)(英語版)」を参照 スエズ運河渡河したエジプト第2・第3軍対すイスラエル南部方面軍10月8日9日反撃大きな損害出して失敗して以降、シナイ半島方面の戦況膠着状態見せていた。イスラエル軍南部での反撃失敗により「北部ゴラン高原重視」の方針決めており、部隊再編当たっていた。エジプト軍スエズ運河渡河したのちは橋頭堡維持しながら停戦決議を待つ方針で、以降大規模な作戦行動取らずイスラエル軍前線小規模な襲撃をかけることに終始していた。

※この「シナイ半島方面(南部戦線)」の解説は、「10月14日の戦車戦」の解説の一部です。
「シナイ半島方面(南部戦線)」を含む「10月14日の戦車戦」の記事については、「10月14日の戦車戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「シナイ半島方面」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「シナイ半島方面」の関連用語

シナイ半島方面のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



シナイ半島方面のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの第四次中東戦争 (改訂履歴)、10月14日の戦車戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS