日本ハリストス正教会
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キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつである。ハリストスは「キリスト」の意(こうした独自の表記・翻訳については後述する)。英語表記は"Orthodox Church in Japan"である(略号はOCJ)[注釈 2]。
(にほんハリストスせいきょうかい)は、注釈
- ^ コンスタンディヌーポリ総主教庁は日本正教会の自治教会としての地位は認めていないものの教会法上の合法性は認めており、コンスタンディヌーポリ総主教庁と日本正教会の間にはこれまで首脳同士の相互訪問も行われている。詳細は本記事内の「交流年表」を参照。
- ^ 教会ホームページ等での表記による。海外の媒体では"Japanese Orthodox Church"等となっているケースも見られるが、日本正教会の用いる公式な表記ではない。
- ^ 当時はまだ日本の正教会は自治教会ではなかったが、「日本正教会」の通称はかなり早くから用いられており、本項でも「聖自治日本正教会」成立以前の日本の正教会も「日本正教会」と呼称する。日本正教会が「自治教会」となったのは1970年である。
- ^ 昇叙(しょうじょ)-それまでの功績により、聖職者としての位が上げられることをいう。
- ^ 1931年、セルギイ・チホミーロフは府主教となる。
- ^ この時、岡田信一郎によって一部外観が変更された。
- ^ 成聖式-せいせいしき。建造物・物品を聖にすること。
- ^ この時モスクワではソ連によってティーホン総主教の後任が置かれず、200年の時を経て復活したモスクワ総主教座はまたしても空席となっていた。この時のロシア正教会のトップは府主教セルギイ・ストラゴロドスキイである。彼は日本に赴任していたことがあり、セルギイ・チホミーロフとも旧知の仲であった。邦訳著書:セルギー/佐藤靖彦・訳『ロシア人宣教師の「蝦夷旅行記」』新読書社
出典
- ^ [1]
- ^ 府主教ダニエル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』正教時報社(ニコライ堂ほか各地正教会で入手可能)27頁、他類例多数。
- ^ OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in Americaのページ。(英語)
- ^ 中学生の質問にお答え (名古屋ハリストス正教会) [リンク切れ]
- ^ “日本ハリストス正教会 コンスタンディヌーポリ総主教庁と断絶へ ロシア正教会に倣い”. スプートニク 日本 (2018年10月19日). 2022年4月30日閲覧。
- ^ 東京の大主教、全日本の府主教ダニイル
- ^ 仙台の大主教、東京の副主教セラフィム
- ^ 2008年9月に函館ハリストス正教会に着任したロシア人司祭が、函館ハリストス正教会にとって実に115年ぶりのロシア人神品である所にも、日本正教会におけるロシア人聖職者の数が極めて少ないことが表れている。115年ぶりロシア人新司祭 函館ハリストス正教会 ドミトリエフさん(北海道新聞)[リンク切れ]
- ^ 参考:日本各地の正教会[リンク切れ]
- ^ 歴史 History(横浜ハリストス正教会)
- ^ 私達の教会・教会の沿革(小田原ハリストス正教会)
- ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』95頁・96頁、岩波新書、ISBN 9784004304586
- ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』13頁 - 15頁、ISBN 9784915730573
- ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』95頁、岩波新書、ISBN 9784004304586
- ^ 浦野大蔵(立三)浦野家の歴史と系譜
- ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』91頁、岩波新書、ISBN 9784004304586
- ^ 牛丸康夫『日本正教史』(第二部第三章:大津事件、82頁~85頁)日本ハリストス正教会教団
- ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』300頁 - 301頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
- ^ Welcome to the Orthodox Christian Faith("Greek Orthodox and Russian Orthodox are the same faith") - St. John Prodromos Greek Orthodox Churchのページ。(英語)[リンク切れ]
- ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』237頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
- ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』303頁 - 310頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
- ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』311頁 - 313頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
- ^ 出典:中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』191頁~194頁、岩波新書(1996年:第一刷) ISBN 9784004304586
- ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』317頁 - 319頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
- ^ 出典:高橋保行『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』83頁、教文館、1996年 ISBN 4764263254
- ^ 前掲『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』125頁
- ^ 前掲『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』126頁
- ^ 長野の会堂が閉鎖された後の1935年に、山下りんによるイコン3点が、札幌ハリストス正教会に移された。出典:『大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に 展図録』200頁(美術館連絡協議会、2008)
- ^ 牛丸康夫『日本正教史』(第三部第一篇第六章:日本在住のロシア人、136頁~142頁)日本ハリストス正教会教団
- ^ この段落と次段落の主要参考図書:府主教ダニエル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』正教時報社(ニコライ堂ほか各地正教会で入手可能)
- ^ 出典:『大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に 展図録』208頁(美術館連絡協議会、2008)
- ^ 出典:前掲『東京復活大聖堂と関東大震災』53頁。府主教セルギイは主教マッキム博士のことを「故大主教ニコライと私の大親友」と記している。
- ^ この段落の出典:牛丸康夫『神のみ旨に生きた激動時代の僕たち』日本ハリストス正教会教団(1985年11月3日発行)
- ^ 府主教ダニイル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』58頁から71頁、2002年、正教時報社
- ^ 正教時報2009年6月号(PDF)、正教時報2009年7月号(PDF)[リンク切れ]
- ^ a b c ロシア正教会駐日ポドウォリエの歴史から
- ^ 牛丸康夫『日本正教史』155頁、日本ハリストス正教会教団府主教庁 1978年5月
- ^ この項の参考サイト:宣教師ニコライの全日記 [リンク切れ]
- ^ 出典:内井昭蔵『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』丸善 ISBN 978-4-621-03548-1(6頁)
- ^ a b 教会なんでも質問箱(名古屋ハリストス正教会)[リンク切れ]
- ^ 信仰生活 (日本正教会公式サイト)[リンク切れ]
- ^ 末里,2012
- ^ CT,2015
日本正教会
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ニコライ堂 - 正式名称は東京復活大聖堂。東京都千代田区(御茶ノ水)にある大聖堂であり重要文化財。 函館ハリストス正教会 - 聖堂名は主の復活聖堂。函館市にある重要文化財。 長野ハリストス正教会 - 1921年まであった教会。復活会堂を有していた。河野通勢の出身教会。
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日本正教会
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日本正教会はロシア正教会からの伝道を受けた経緯から聖歌についてもスラヴ系正教会の伝統を引き継ぎ、連祷を単調な旋律と和声で歌う伝統を概ね維持している。但しニコライ堂では一部においてアレクサンドル・アルハンゲルスキーやパーヴェル・チェスノコフの作曲によるものが取り上げられたり、横浜ハリストス正教会や名古屋ハリストス正教会においてはルーマニア正教会の連祷が日本語訳されて歌われたりするなど、若干多様化していく変化の兆候がみられる。また、歌唱に使われるのは殆ど日本語である(都市圏の教会では外国人が参祷している場合にスラヴ語等を用いる場合があるが、極めて稀である)。
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日本正教会
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「日本ハリストス正教会」も参照 生神女福音聖堂(京都) - 京都ハリストス正教会の聖堂。現聖堂は1903年建立。 生神女福音会堂(斜里) - 斜里ハリストス正教会の会堂。現会堂は1979年建立。 生神女福音聖堂(須賀) - 須賀ハリストス正教会の聖堂。1890年開教。現聖堂は1999年建立。 生神女福音聖堂(仙台) - 仙台ハリストス正教会の聖堂。1873年開教。現聖堂は1998年建立。 生神女福音聖堂(名古屋) - 名古屋ハリストス正教会の聖堂。1874年開教。1972年建立。2010年に移転のため解体。現聖堂名は「神現聖堂」 生神女福音聖堂(北鹿) - 北鹿ハリストス正教会の聖堂。現聖堂は1892年建立。外壁工事を実施し、2018年11月3日、会堂修復成聖式を開催。 生神女福音聖堂(山田) - 山田ハリストス正教会の聖堂。現聖堂は1965年建立。2011年の東日本大震災で被災、焼失。
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日本正教会
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日本正教会の聖枝祭は、カトリック教会での枝の主日(受難の主日)、プロテスタントでの棕櫚の主日に相当する。ただし本祭日は移動祭日であることと、正教会と両教派とでは教会暦が異なることから、日付は年によって、同日であることもあれば異なる日にちである場合もある。受難週間の初日で、大斎最終日であるラザリのスボタの翌日の日曜日(主日)に祝われる。この日は復活大祭の一週間前の日曜日に相当し、復活祭同様、聖枝祭も移動祝日となる。3月下旬から5月上旬に祝われる。 聖枝祭のイコンには、ロバに乗ったイエスとそれに従う弟子たち、エルサレムの城とイエスを迎える群衆が描かれる。 信者が枝を用意し、司祭がそれを早課で成聖し、聖枝祭の早課・聖体礼儀には信者がこの枝を手に参祷する。これはヨハネによる福音書の記述に則った習慣である。 枝は当時、凱旋者を歓喜して迎える印であった。イエスを迎えたエルサレムの群衆は枝を持って、王を迎えるのと同じような仕方でイエスを迎えたが、群衆の多くは自分達をローマの支配から解放して新しいユダヤの王国を築くためにイエスが来たのだと誤解していた。正教徒はこのような誤解に則るのではなく、死に対して勝利して凱旋する王として、自分の中に受け入れることを示すために枝や花を持って聖枝祭を祝う。 地域によっては枝を手にしての十字行が行われる。 枝はオリーブ、ナツメヤシまたはシュロが好まれるが、何を用いるという規定はとくにない。花をつけた枝を用いる場合もある。ロシア正教会など寒冷な地ではネコヤナギなどを用いる(ネコヤナギを用いるのはロシアのみならず、北欧でも例がある)。日本正教会でも地域によってネコヤナギが使われる(ネコヤナギは正教会のみならず、寒冷な地であるイギリスやオーストリアにある西方教会でも用いられる)。
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日本正教会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 17:16 UTC 版)
真福九端(しんぷくきゅうたん、ロシア語: Заповеди блаженства)は、正教会において最も頻繁に用いられる祈りの1つであり、題は日本正教会による訳語である。マタイによる福音書5章3節から12節までから取られた句に由来する。全体的に謙遜を意味していることから「謙遜の祈り」とも呼ばれる。
※この「日本正教会」の解説は、「至福の教え」の解説の一部です。
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