日本正教会とは? わかりやすく解説

日本ハリストス正教会

(日本正教会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/20 20:04 UTC 版)

(にほんハリストスせいきょうかい)は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつである。ハリストスは「キリスト」の意(こうした独自の表記・翻訳については後述する)。英語表記は"Orthodox Church in Japan"である(略号はOCJ[注釈 2]


注釈

  1. ^ コンスタンディヌーポリ総主教庁は日本正教会の自治教会としての地位は認めていないものの教会法上の合法性は認めており、コンスタンディヌーポリ総主教庁と日本正教会の間にはこれまで首脳同士の相互訪問も行われている。詳細は本記事内の「交流年表」を参照。
  2. ^ 教会ホームページ等での表記による。海外の媒体では"Japanese Orthodox Church"等となっているケースも見られるが、日本正教会の用いる公式な表記ではない。
  3. ^ 当時はまだ日本の正教会は自治教会ではなかったが、「日本正教会」の通称はかなり早くから用いられており、本項でも「聖自治日本正教会」成立以前の日本の正教会も「日本正教会」と呼称する。日本正教会が「自治教会」となったのは1970年である。
  4. ^ 昇叙(しょうじょ)-それまでの功績により、聖職者としての位が上げられることをいう。
  5. ^ 1931年、セルギイ・チホミーロフは府主教となる。
  6. ^ この時、岡田信一郎によって一部外観が変更された。
  7. ^ 成聖式-せいせいしき。建造物・物品を聖にすること。
  8. ^ この時モスクワではソ連によってティーホン総主教の後任が置かれず、200年の時を経て復活したモスクワ総主教座はまたしても空席となっていた。この時のロシア正教会のトップは府主教セルギイ・ストラゴロドスキイである。彼は日本に赴任していたことがあり、セルギイ・チホミーロフとも旧知の仲であった。邦訳著書:セルギー/佐藤靖彦・訳『ロシア人宣教師の「蝦夷旅行記」』新読書社

出典

  1. ^ [1]
  2. ^ 府主教ダニエル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』正教時報社(ニコライ堂ほか各地正教会で入手可能)27頁、他類例多数。
  3. ^ OCA - Q&A - Greek Orthodox and Russian Orthodox - Orthodox Church in Americaのページ。(英語)
  4. ^ 中学生の質問にお答え (名古屋ハリストス正教会) [リンク切れ]
  5. ^ 日本ハリストス正教会 コンスタンディヌーポリ総主教庁と断絶へ ロシア正教会に倣い”. スプートニク 日本 (2018年10月19日). 2022年4月30日閲覧。
  6. ^ 東京の大主教、全日本の府主教ダニイル
  7. ^ 仙台の大主教、東京の副主教セラフィム
  8. ^ 2008年9月に函館ハリストス正教会に着任したロシア人司祭が、函館ハリストス正教会にとって実に115年ぶりのロシア人神品である所にも、日本正教会におけるロシア人聖職者の数が極めて少ないことが表れている。115年ぶりロシア人新司祭 函館ハリストス正教会 ドミトリエフさん(北海道新聞)[リンク切れ]
  9. ^ 参考:日本各地の正教会[リンク切れ]
  10. ^ 歴史 History(横浜ハリストス正教会)
  11. ^ 私達の教会・教会の沿革(小田原ハリストス正教会)
  12. ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』95頁・96頁、岩波新書、ISBN 9784004304586
  13. ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』13頁 - 15頁、ISBN 9784915730573
  14. ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』95頁、岩波新書、ISBN 9784004304586
  15. ^ 浦野大蔵(立三)浦野家の歴史と系譜
  16. ^ 中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』91頁、岩波新書、ISBN 9784004304586
  17. ^ 牛丸康夫『日本正教史』(第二部第三章:大津事件、82頁~85頁)日本ハリストス正教会教団
  18. ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』300頁 - 301頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
  19. ^ Welcome to the Orthodox Christian Faith("Greek Orthodox and Russian Orthodox are the same faith") - St. John Prodromos Greek Orthodox Churchのページ。(英語)[リンク切れ]
  20. ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』237頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
  21. ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』303頁 - 310頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
  22. ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』311頁 - 313頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
  23. ^ 出典:中村健之介『宣教師ニコライと明治日本』191頁~194頁、岩波新書(1996年:第一刷) ISBN 9784004304586
  24. ^ 長縄光男『ニコライ堂遺聞』317頁 - 319頁、成文社 2007年 ISBN 9784915730573
  25. ^ 出典:高橋保行『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』83頁、教文館、1996年 ISBN 4764263254
  26. ^ 前掲『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』125頁
  27. ^ 前掲『迫害下のロシア正教会 無神論国家における正教の70年』126頁
  28. ^ 長野の会堂が閉鎖された後の1935年に、山下りんによるイコン3点が、札幌ハリストス正教会に移された。出典:『大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に 展図録』200頁(美術館連絡協議会、2008)
  29. ^ 牛丸康夫『日本正教史』(第三部第一篇第六章:日本在住のロシア人、136頁~142頁)日本ハリストス正教会教団
  30. ^ この段落と次段落の主要参考図書:府主教ダニエル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』正教時報社(ニコライ堂ほか各地正教会で入手可能)
  31. ^ 出典:『大正の鬼才 河野通勢 新発見作品を中心に 展図録』208頁(美術館連絡協議会、2008)
  32. ^ 出典:前掲『東京復活大聖堂と関東大震災』53頁。府主教セルギイは主教マッキム博士のことを「故大主教ニコライと私の大親友」と記している。
  33. ^ この段落の出典:牛丸康夫『神のみ旨に生きた激動時代の僕たち』日本ハリストス正教会教団(1985年11月3日発行)
  34. ^ 府主教ダニイル監修・府主教セルギイ著『東京復活大聖堂と関東大震災』58頁から71頁、2002年、正教時報社
  35. ^ 正教時報2009年6月号(PDF)、正教時報2009年7月号(PDF)[リンク切れ]
  36. ^ a b c ロシア正教会駐日ポドウォリエの歴史から
  37. ^ 牛丸康夫『日本正教史』155頁、日本ハリストス正教会教団府主教庁 1978年5月
  38. ^ この項の参考サイト:宣教師ニコライの全日記 [リンク切れ]
  39. ^ 出典:内井昭蔵『ロシアビザンチン 黄金の環を訪ねて』丸善 ISBN 978-4-621-03548-1(6頁)
  40. ^ a b 教会なんでも質問箱(名古屋ハリストス正教会)[リンク切れ]
  41. ^ 信仰生活 (日本正教会公式サイト)[リンク切れ]
  42. ^ 末里,2012
  43. ^ CT,2015



日本正教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/04/09 14:47 UTC 版)

復活大聖堂」の記事における「日本正教会」の解説

ニコライ堂 - 正式名称東京復活大聖堂東京都千代田区御茶ノ水)にある大聖堂であり重要文化財函館ハリストス正教会 - 聖堂名は主の復活聖堂函館市にある重要文化財長野ハリストス正教会 - 1921年であった教会復活会堂有していた。河野通勢出身教会

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日本正教会

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連祷」の記事における「日本正教会」の解説

日本正教会はロシア正教会からの伝道受けた経緯から聖歌についてもスラヴ系正教会伝統引き継ぎ連祷単調な旋律和声で歌う伝統概ね維持している。但しニコライ堂では一部においてアレクサンドル・アルハンゲルスキーパーヴェル・チェスノコフ作曲よるもの取り上げられたり、横浜ハリストス正教会名古屋ハリストス正教会においてはルーマニア正教会連祷が日本語訳され歌われたりするなど、若干多様化していく変化兆候みられるまた、歌唱使われるのは殆ど日本語である(都市圏教会では外国人が参祷している場合スラヴ語等を用い場合があるが、極めて稀である)。

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日本正教会

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生神女福音大聖堂」の記事における「日本正教会」の解説

日本ハリストス正教会」も参照 生神女福音聖堂京都) - 京都ハリストス正教会聖堂。現聖堂1903年建立生神女福音会堂(斜里) - 斜里ハリストス正教会会堂。現会堂1979年建立生神女福音聖堂須賀) - 須賀ハリストス正教会聖堂1890年開教。現聖堂1999年建立生神女福音聖堂仙台) - 仙台ハリストス正教会聖堂1873年開教。現聖堂1998年建立生神女福音聖堂名古屋) - 名古屋ハリストス正教会聖堂1874年開教1972年建立2010年移転のため解体。現聖堂名は「神現聖堂生神女福音聖堂(北鹿) - 北鹿ハリストス正教会聖堂。現聖堂1892年建立外壁工事実施し2018年11月3日会堂修復成聖式開催生神女福音聖堂山田) - 山田ハリストス正教会聖堂。現聖堂1965年建立2011年の東日本大震災被災焼失

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日本正教会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 06:39 UTC 版)

エルサレム入城の日」の記事における「日本正教会」の解説

日本正教会の聖枝祭は、カトリック教会での枝の主日受難の主日)、プロテスタントでの棕櫚の主日相当する。ただし本祭日は移動祭日であることと、正教会両教派とでは教会暦異なることから、日付年によって、同日であることもあれ異な日にちである場合もある。受難週間初日で、大斎最終日であるラザリスボタ翌日日曜日主日)に祝われるこの日復活大祭一週間前日曜日相当し復活祭同様、聖枝祭移動祝日となる。3月下旬から5月上旬祝われる聖枝祭イコンには、ロバ乗ったイエスとそれに従う弟子たちエルサレムの城とイエス迎え群衆描かれる信者用意し司祭がそれを早課成聖し、聖枝祭早課聖体礼儀には信者がこの手に参祷する。これはヨハネによる福音書記述則った習慣である。 当時凱旋者を歓喜して迎える印であったイエス迎えたエルサレム群衆を持って、王を迎えるのと同じような仕方イエス迎えたが、群衆多く自分達をローマの支配から解放して新しユダヤ王国を築くためにイエス来たのだと誤解していた。正教徒このような誤解則るではなく死に対して勝利して凱旋する王として自分の中に受け入れることを示すためにや花を持って聖枝祭を祝う。 地域によっては手にしての十字行が行われる。 オリーブナツメヤシまたはシュロ好まれるが、何を用いるという規定はとくにない。花をつけた用い場合もある。ロシア正教会など寒冷な地ではネコヤナギなどを用いる(ネコヤナギ用いるのはロシアのみならず北欧でも例がある)。日本正教会でも地域によってネコヤナギ使われるネコヤナギ正教会のみならず寒冷な地であるイギリスオーストリアにある西方教会でも用いられる)。

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日本正教会

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至福の教え」の記事における「日本正教会」の解説

真福九端しんぷくきゅうたんロシア語: Заповеди блаженства)は、正教会において最も頻繁に用いられる祈り1つであり、題は日本正教会による訳語である。マタイによる福音書5章3節から12節までから取られた句に由来する全体的に謙遜意味していることから謙遜祈り」とも呼ばれる

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