生神女福音大聖堂
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生神女福音大聖堂(しょうしんじょふくいんだいせいどう、Cathedral of the Annunciation)は、生神女福音祭を記憶する正教会の大聖堂。世界各地に存在する同名の大聖堂を当記事の一覧に挙げる。大聖堂のみならず、通常の聖堂・会堂にも生神女福音を記憶するものは数多くあり、当記事の一覧でも若干扱う。
- ^ 「ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂」「ブラゴヴェシチェンスキー寺院」との転写例もある。
- ^ 現代ギリシャ語読みを本項では採用する。古典再建音では「テオトコス」となる。
- ^ “大館の北鹿ハリストス正教会 福音会堂の外壁修復終了”. 秋田魁新報電子版. (2018年11月7日) 2018年11月30日閲覧。
- 1 生神女福音大聖堂とは
- 2 生神女福音大聖堂の概要
- 3 関連項目
生神女福音聖堂
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「京都ハリストス正教会」の記事における「生神女福音聖堂」の解説
生神女福音聖堂は1901年(明治34年)に正教会の京都聖堂として建設された。亜使徒大主教聖ニコライは、宗務局承認設計図譜から450人規模の図案を選び、それを京都府技師の松室重光に渡し実施設計と施工監理を委託した。 モスクワのエパネチニコフ工房が制作し、ロシア正教会から寄付されたの聖像(イコン)30枚からなる聖障は、横幅が長く両端を屈折させて対応。一部破損があったが聖像画家イリナ山下りんが完璧に修繕。金属製の凱旋旗はモスクワ・クレムリンの凱旋旗奉仕会、金襴はウラジミル・サポジニコフ、聖器物・聖鐘はワシリイ・ドゥディーシキンらがそれぞれ寄贈。 聖堂内を飾る聖像は精緻美麗を極め、聖障の木彫り細工も巧妙、白亜の漆喰壁と美しく調和している。聖堂の成聖式嵌め込まれた聖障、教鐘、大燈明等の到着と設置を待って1903年(明治36年)5月10日に行われた。 建築様式は奥へ向けて神聖なる空間が上昇し広がっていく正統ロシア・ビザンチン様式で、最大幅15m、奥行27m、総高 22mの規模をもち、玄関、啓蒙所、聖所、至聖所が一直線に並んで聖所を中心にして平面的に十字架を形成する。 「鐘楼は洛中に無比其他にも稀なる高楼なるを以て四望目を遮る者なく、遠くは比叡、愛宕の連山を眺め、近くは東西両本願寺の巨刹を俯瞰し、平安の旧邸一眸の中に在り — 京都至聖生神女福音記念聖堂画帖、東京・大日本正教本会編集所 設計 - 松室重光 竣工 - 明治34年(1901年) 構造 - 木造平屋建、下見板張 所在地 - 京都府京都市中京区柳馬場通二条上ル6-283 備考 - 重要文化財 日露戦争時の1905年、京都市内東福寺捕虜収容所のロシア兵を慰問、当時の捕虜は奇蹟者聖ニコライの聖像2枚を聖堂に献納、感謝の念を示した。 第二次世界大戦時には聖鐘が軍に供出され、戦況の悪化を前に聖障の解体疎開を計画するなか、終戦を迎えた。その際聖像が傷むなどしている。
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