日本正教会の「天主経」
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東方教会へはおもに教会スラブ語を通して伝わっており、日本正教会では明治期にこの教会スラブ語(ロシア正教会で使用)から作成された独特の文語体を現在でも使用しており、天主経(てんしゅけい)と呼ぶ。頌栄の部分は、司祭がその場にいるかいないかで変わる。正教会では聖体礼儀などの奉神礼においてのみならず、食前や集会の始まりに天主経を用いる。多く集会の場では定められた単純な旋律にのせて歌われる。 天(てん)に在(いま)す我(われ)等(ら)の父(ちち)よ。願(ねがはく)は爾(なんぢ)の名(な)は聖(せい)とせられ。爾(なんぢ)の國(くに)は來(きた)り。爾(なんぢ)の旨(むね)は天(てん)に行(おこな)はるるが如(ごと)く、地(ち)にも行(おこな)はれん。我(わ)が日(にち)用(よう)の糧(かて)を今(こん)日(にち)我(われ)等(ら)に與(あた)へ給(たま)へ。我(われ)等(ら)に債(おひめ)ある者(もの)を我(われ)等(ら)免(ゆる)すが如(ごと)く、我(われ)等(ら)の債(おひめ)を免(ゆる)し給(たま)へ。我(われ)等(ら)を誘(いざなひ)に導(みちび)かず、猶(なほ)我(われ)等(ら)を凶(きょう)惡(あく)より救(すく)ひ給(たま)へ。 (司祭が居る場合、以下司祭朗誦・高声) 蓋(けだ)し國(くに)と權能(けんのう)と光榮(こうえい)は爾(なんぢ)父(ちち)と子(こ)と聖神゜(せいしん)に歸(き)す、 今(いま)も何時(いつ)も世々(よよ)に。 「アミン」。(司祭がいない場合は以下、ただし唱えられないことも多い) 蓋(けだ)し國(くに)と權能(けんのう)と光榮(こうえい)は爾(なんぢ)に世々(よよ)に歸(き)す「アミン」。
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