おおつ‐じけん〔おほつ‐〕【大津事件】
大津事件
大津事件
大津事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 01:24 UTC 版)
1891年(明治24年)5月11日、滋賀県大津においてロシア帝国皇太子ニコライが警官津田三蔵により切りつけられた「大津事件」がおきた。事件直後、滋賀県全体でロシア皇太子に謝意を表することとなった。当初は陳謝大使の派遣が検討されたが、直ぐに電報をもってロシア皇室へ慰問を行うべきと決められ、逸治郎等有力県議会議員が発起者となり陳謝の意を込めた電報が、京に滞在中のロシア皇太子宛打電された。その後、逸治郎が県民を代表し、皇太子が滞在する京に伺候し陳謝を行った。
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大津事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 01:24 UTC 版)
1891年(明治24年)5月11日、滋賀県大津においてロシア帝国皇太子ニコライが警官津田三蔵により切りつけられた「大津事件」がおきた。事件直後、滋賀県全体でロシア皇太子に謝意を表することとなった。当初は陳謝大使の派遣が検討されたが、直ぐに電報をもってロシア皇室へ慰問を行うべきと決められ、鵜飼退蔵は岡田逸治郎等他の有力県議会議員と共に発起者となり陳謝のための電報を、京で療養中のロシア皇太子宛打電した。
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大津事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 14:41 UTC 版)
「ニコライ2世 (ロシア皇帝)」の記事における「大津事件」の解説
詳細は「大津事件」を参照 5月11日、大津に入り、琵琶湖や唐崎神社を見学した。しかし同日、大津から京都へ戻る際、滋賀県警察部所属の警察官津田三蔵巡査が人力車に乗っていたニコライ皇太子にサーベルで斬りかかり、彼の右耳上部を負傷させた。切り傷そのものはそれほど深くなかったものの、重いサーベルによる斬撃を受けたため頭蓋骨に裂傷が入った(脳には届かなかった)。これ以降ニコライは終生、傷の後遺症と頭痛に苦しむようになった。 ニコライはこの時のことを次のように日記に書いている。「人力車が人々が沿道にあふれている通りへ曲がった時、私は右耳の上に強い衝撃を感じた。振り返ると胸が悪くなるほど醜い顔をした巡査が両手でサーベルを持って私を斬りつけようとしていた。とっさに私は『何をする』と叫んで道路に飛び降りた。醜い顔は私を追いかけてきたが、誰も止めようとしないので、私はやむなくその場から逃げた。群衆の中に紛れこもうと思ったが、日本人たちは混乱して四散してしまったので、それも不可能だった。走りながら振り返ると私を追ってくる巡査の後ろからゲオルギオスが追跡しているのが確認できた。更に60歩走ってもう一度振り返ると、ありがたいことに全て終わっていた。ゲオルギオスが竹の杖の一撃で狂人を倒していたのである。私がそこへ戻ると、人力車の車夫と警官たちが狂人を取り押さえていた。一人が狂人の胸ぐらを掴んで、奪ったサーベルを喉につきつけていた。群衆は誰一人として私を助けようとしなかった。なぜ通りの真ん中に私とゲオルギオスとあの狂人だけが取り残されたのか、私は怪訝に思う。」。 しかし津田の裁判の際の目撃者たちの証言によると、津田を取り押さえた一番の功労者はゲオルギオス王子ではなく、人力車の車夫だったという。確かに最初に津田に立ち向かったのはゲオルギオス王子であり、彼はその日お土産に買った竹の杖を武器にしていた。だがゲオルギオスの竹の杖は津田をひるませただけであり、ひるんだところを人力車の車夫たちが津田に飛びかかり、この時津田がサーベルを落とし、それを拾った車夫が津田の首筋と背中を斬りつけたのだという。ニコライも後に一応これを認めていたらしく、彼を助けた車夫の二人に勲章を送っている。だがニコライは毎年5月11日に行っていた大津事件記念礼拝においては感謝の意を日本人車夫にではなく、ゲオルギオスに捧げていた。
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大津事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 17:10 UTC 版)
詳細は「大津事件」を参照 1891年(明治24年)5月、日本を訪問していたロシア帝国の皇太子ニコライ(後のニコライ2世)が、滋賀県大津市で警備の巡査・津田三蔵に突然斬りかかられて負傷する暗殺未遂事件が発生した。その事件処理に際して、大国ロシアを恐れた政府は大審院に対し、皇室に対する罪を適用して処断するよう圧力をかけた。しかし、大審院は、「皇室に対する罪は、外国の皇太子に対する行為については適用されない」として、一般の殺人未遂事件として処理し、司法権の独立を保った。このとき政府から適用するよう求められた罪は、不敬罪ではなく皇族に対する危害罪(旧刑法116条)である。 また昭和21年5月19日に於ける不敬罪事件(最大判昭23・5・26刑集2・6・529)ではGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の「天皇といえども特別な保護を受けるべきではない」という意向により不敬罪で起訴された被告人は天皇個人に対する名誉毀損の特別罪として免訴された判例がある。
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