山縣有朋とは? わかりやすく解説

やまがた‐ありとも【山県有朋】

読み方:やまがたありとも

[1838~1922]軍人政治家陸軍大将元帥山口生まれ松下村塾に学ぶ。明治維新後、ヨーロッパ諸国軍制視察陸軍創設徴兵令施行軍人勅諭発布など軍制整備努めた法相内相首相枢密院議長歴任山県閥を作り元老として政界支配

山県有朋の画像

山縣有朋

山縣有朋
総理在職期間
第1次明22.12.24~明24. 5. 6499
第2次明31.11. 8~明33.10.19711日
在職通算日数1,210日
総理就任時年齢:51歳・60歳

山県有朋 やまがた ありとも

山県有朋の肖像 その1
天保9年4月22日大正11年2月1日 (1838~1922)

山口生まれ。陸軍軍人、政治家。父は萩藩士。松下村塾に学ぶ。奇兵隊軍監として活躍戊辰戦争従軍兵部小輔、兵部大輔陸軍大輔経て明治6年(1873)陸軍卿に就任。徴兵令制定推進軍制確立尽くす。11年(1878)参謀本部長。16年(1883)内務卿18年(1885)第1次伊藤内閣内相に就任。民権運動抑圧するとともに中央集権的な地方制度確立につとめる。22年(1889)第1次山県内閣組織第2次伊藤内閣司法相、陸相枢密院議長日清戦争時の第1軍司令官などを歴任31年(1898)第2次山県内閣組織日露戦争時参謀総長として作戦指揮にあたる元老として「山県閥」と呼ばれる官僚、軍人一大勢力形成し政界への影響力を行使した

キーワード 陸軍軍人, 政治家, 首相
号・別称
著作等近代デジタルライブラリー収載
  1. 策府. [1], [2] / 小川弘, 旗野十一郎編 ; 山県有朋, 谷干城漆山類治, 明17.2 <YDM51827>
  2. 近衛兵紀念碑 / 長三洲皓月堂, 明17.4 <YDM70903>
  3. わしの山集 / 山県有朋著 山県伊三郎, 明27.11 <YDM86889>
  4. 懐旧記事. [1], [2], [3] / 山県有朋(含)述 ; 秋月新太郎丸善, 明31.6 <YDM7447>

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山縣有朋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/21 07:49 UTC 版)

山縣 有朋(やまがた ありとも、天保9年閏4月22日1838年6月14日〉- 大正11年〈1922年2月1日)は、日本政治家[1]。最終階級称号元帥陸軍大将位階勲等功級爵位従一位大勲位功一級公爵


注釈

  1. ^ 大正11年に松蔭の生誕地に設置された記念碑の表面に、「吉田松陰先生誕生之地碑 門下生 山縣有朋」と揮毫している[15]
  2. ^ 山縣は時山の死を後悔し、現場の苦戦している様子を和歌で詠み「あだ守る砦のかがり影ふけて 夏も身にしむ越の山風」と長歎したといわれる。また後年に時山の墓を詣で、記念碑を建てる話が上がると碑文を書き、日露戦争前にも時山の死を思い出している[40][41]
  3. ^ この書状は熊本城解放後の4月17日に既に作成されていて(起草は福地源一郎とされる)、6日後の23日に西郷へ送られたが、届いたかどうか分からなかった。城山の戦い直前で山縣は改めてこの書状を西郷へ送っている[88]
  4. ^ 市町村会の有権者は満20歳以上(被選挙権は満25歳以上)の男子で、市町村に2年以上住んで地租か直接国税2円以上を納めた人が公民権を獲得、それにより選挙権も認めるという仕組みだった。府県会は市町村会や郡会で選挙された議員が入る複選制で、郡会も町村会員の複選制と互選された大地主で構成されていた[130][131]
  5. ^ 大隈は当時爆弾で襲撃されており、療養中であった
  6. ^ 藤村道生による、大本営の冬営論に従おうとしなかったために解任されたとの説[167][168]が従来から信じられてきた。しかし斎藤聖二が、当時としては老人とも言える年齢の山縣が実際に病状を悪化させていたこと、大本営が既に冬季作戦論に転換していたことを実証して山縣の召還は「健康への憂慮」と「戦略上の必要性」にあると指摘[169]しており、伊藤之雄も藤村の説には疑問を呈している[170]ほか、原田敬一も「病気の軍司令官による冬季作戦はできない、という大本営の判断が山縣解任の理由」とする斎藤の説を支持している[171]
  7. ^ 市町村の議員が、府県会・郡会の選挙権を持つ制度。
  8. ^ 勅任官のうち内閣書記官長と秘書官は例外とされている
  9. ^ 憲政党の最有力者であった星亨個人は政党員の就官には批判的であった[199]
  10. ^ 山縣は病床で「維新以来わが日本は絶えず苦心を要する境遇に置かれ、殊に非常な国難にも幾度か際会して来たが、幸にも、殆ど常に予期しない国運の開展を見て来た。しかし、向後は国難は益々加はつて来るに相違ない。而も其の国難は従前に比し数倍するものと思はれるが、それを如何に処理して行けばよいか。自分共は最早老年で告示に尽すことも出来ないが、将来局に当るものは十分の覚悟と決心とを以て事に当つて貰ひたい」と入江貫一に対し繰り返し述べている[290]
  11. ^ 一方、山縣自身も晩年、摂政宮の世評が良いのを聞いて喜びながら、世間では自分のことをとかくいっているようだが、皇室国家のほかは子や孫などのことは念頭にないと述べている[297]

出典

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山縣有朋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 06:29 UTC 版)

「坊っちゃん」の時代」の記事における「山縣有朋」の解説

当時現役引退しながらも政界に力を及ぼしていた。椿山荘にて自ら開催する句会漱石同席していた。本作における「校長」のモデル薩長同盟縁で薩摩出身伊集院覚えがいい。

※この「山縣有朋」の解説は、「「坊っちゃん」の時代」の解説の一部です。
「山縣有朋」を含む「「坊っちゃん」の時代」の記事については、「「坊っちゃん」の時代」の概要を参照ください。


山縣有朋(やまがた ありとも)

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昭和天皇物語」の記事における「山縣有朋(やまがた ありとも)」の解説

長州閥の元老元帥帝国陸軍大将公爵強欲な人間であり、日本国のためならばと誰よりも権力を好む。

※この「山縣有朋(やまがた ありとも)」の解説は、「昭和天皇物語」の解説の一部です。
「山縣有朋(やまがた ありとも)」を含む「昭和天皇物語」の記事については、「昭和天皇物語」の概要を参照ください。


山県有朋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 03:41 UTC 版)

翔ぶが如く」の記事における「山県有朋」の解説

陸軍卿出世欲が強い人物だが、山城屋事件西郷救われたことから西郷には厚い恩義を感じている西郷挙兵の折は参軍として政府軍総指揮を得、慎重な采配をふるって戦争有利に進め西郷自決後はその首を探し出し洗い清め丁重に埋葬した

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