阿部信行とは? わかりやすく解説

あべ‐のぶゆき【阿部信行】


阿部信行

阿部信行
総理在職期間
     昭14. 8.30~昭15. 1.16140日
総理就任時年齢:63歳

阿部信行 あべ のぶゆき

阿部信行の肖像 その1

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阿部信行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/30 17:44 UTC 版)

阿部 信行
あべ のぶゆき
軍服を着用した阿部
生年月日 1875年11月24日
出生地 大日本帝国 石川県金沢市
没年月日 (1953-09-07) 1953年9月7日(77歳没)
出身校 陸軍大学校卒業
前職 軍事参議官
所属政党 翼賛政治会
称号 陸軍大将
正二位
勲一等旭日大綬章
配偶者 阿部ミツ
子女 阿部信弘(次男)
親族 稲田正純(娘婿)
井上成美(相婿)
サイン

内閣 阿部内閣
在任期間 1939年8月30日 - 1940年1月16日
天皇 昭和天皇

第9代 朝鮮総督
在任期間 1944年7月24日 - 1945年9月28日

第53代 外務大臣
内閣 阿部内閣
在任期間 1939年8月30日 - 1939年9月25日(総理兼任)

内閣 濱口内閣
在任期間 1930年6月16日 - 1930年12月10日

選挙区 勅選議員
在任期間 1942年5月18日 - 1946年2月22日

その他の職歴
翼賛政治体制協議会会長
1942年2月23日 - 1942年5月5日
班列
濱口内閣
1930年6月16日 - 1930年12月10日
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阿部 信行(あべ のぶゆき、1875年明治8年〉11月24日 - 1953年昭和28年〉9月7日)は、日本陸軍軍人政治家

陸軍士官学校9期[1]陸軍大学校19期恩賜)、陸軍大将位階正二位勲等勲一等

予備役編入後、内閣総理大臣第36代)、外務大臣第59代)、翼賛政治会総裁(初代)、貴族院議員朝鮮総督(第9代)を歴任した。

概説

阿部信行の肖像写真

石川県金沢市生まれ。父は旧金沢藩士・阿部信満[2]東京府尋常中学校を経て、第四高等学校に進むも中退し、陸軍士官学校に進んで陸軍砲兵将校となる。陸軍少将として参謀本部総務部長、陸軍省軍務局長の要職を務め、陸軍中将として陸軍次官第4師団長、台湾軍司令官を歴任して陸軍大将に親任された。ただし、武運に恵まれず金鵄勲章の拝受は行われていない[3]

軍事参議官に転じた後の1936年(昭和11年)3月、二・二六事件後に粛軍が行われることとなった。その際、阿部の発案により自身を含む軍事参議官の陸軍大将7人は予備役に編入されることになったが、大将に昇進してまだ日が浅い3名は除外されている。こうしてほとんどの陸軍大将が予備役に編入された際に阿部も予備役となる[4]

1937年(昭和12年)7月に盧溝橋事件が勃発するが、その翌8月に北支那方面軍司令部が編成されることを聞き及んだ阿部は、どうしても自分がその司令官になると動き出し[5]、同期の松井石根が招集されて上海派遣軍司令官に補されるなかで、出征の準備を整えていたが叶わなかった。いたく不満に思った阿部は陸軍省を訪れて不満を訴え陸相の杉山元を困らせている[6]

1939年(昭和14年)6月には東亜同文会理事長に就任している。

同年8月30日内閣総理大臣に就任した。当初は外務大臣を兼任であった。同郷者が多い阿部内閣は「阿部一族」とも「石川内閣」とも呼ばれ、また、畑俊六伍堂卓雄塩野季彦派の宮城長五郎の入閣などから当時の読売新聞紙上では「一中内閣」と持て囃された[7]。阿部内閣発足の2日後、9月1日には第二次世界大戦が勃発した。阿部は、ドイツとの軍事同盟締結は米英との対立激化を招くとし、大戦への不介入方針を掲げた。しかし陸軍の反対もあり、翌1940年(昭和15年)1月15日に内閣総理大臣を辞した。

その後、1942年(昭和17年)4月30日に実施された翼賛選挙を前に結成された翼賛政治体制協議会の会長に就任。5月20日に結成された翼賛政治会でも引き続き会長を務めた。12月には東亜同文会副会長に就任する。

1942年(昭和17年)5月から1946年(昭和21年)2月まで貴族院議員を務めた。

1944年(昭和19年)7月に朝鮮総督に任じられ、敗戦を迎える。同年10月19日、陸軍中尉[8](陸士56期)で空中勤務者であった二男・信弘が、爆装した搭乗機でニコバル諸島付近のイギリス艦隊に突入、22歳[8]で戦死[9]。これは陸軍が特別攻撃隊を編成する直前であったが[9]、遡って特攻戦死と認定され[8][9]、信弘は二階級特進して陸軍少佐となった[8]

一部からは軍事の将軍より処世の将軍と評されている。

1945年9月9日、朝鮮総督として降伏調印式に出席、9月12日に解任され、9月19日に朝鮮を発ち飛行機で日本に帰国後、A級戦犯容疑で逮捕されるが、極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷直前になって突如起訴予定者のリストから外されたといわれており、同裁判を巡る謎の一つとされている。公職追放となり[10]1952年(昭和27年)追放解除される[11]。翌1953年(昭和28年)死去。享年77。 死去にあたり杉並区下高井戸の自邸に、天皇・皇后より賜物使として侍従の徳川義寛が遣され、祭粢料と花を賜った[12]

死去時点で内閣総理大臣経験者としては最年長かつ最古参であった(1952年10月17日に岡田啓介が死去した時点より最年長かつ最古参となっていた。自身の死去に伴い戦前・戦中の内閣総理大臣経験者は全て鬼籍に入り、最年長は吉田茂、最古参は東久邇宮稔彦王となった)。墓所は大徳寺芳春院

親類

年譜

1939年昭和14年)8月28日、組閣の大命が降下したことを電話で知らされた阿部

[2]

栄典

位階
勲章など
外国勲章佩用允許

関連作品

映画

脚注

出典

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 48頁。
  2. ^ a b c d e 秦郁彦 編著 『日本陸海軍総合事典(第2版)』 p.4, 「阿部信行」
  3. ^ 藤井非三四 『帝国陸海軍 人事の闇』 光人社NF文庫 ISBN 978-4769832492、p227
  4. ^ 藤井非三四 『帝国陸海軍 人事の闇』 光人社NF文庫 ISBN 978-4769832492、p221
  5. ^ 藤井非三四 『帝国陸海軍 人事の闇』 光人社NF文庫 ISBN 978-4769832492、p227
  6. ^ 藤井非三四 『帝国陸海軍 人事の闇』 光人社NF文庫 ISBN 978-4769832492、p227-p228
  7. ^ 読売新聞 1939年(昭和14年)12月8日 朝刊7面。ちなみに、同新聞コラムでは、学歴で政治をするのではないし・・などと多少皮肉めいて論じている。
  8. ^ a b c d e f 山口宗之 『陸軍と海軍-陸海軍将校史の研究』 清文堂、2005年、pp.247-259、「陸軍士官学校特攻戦死者の分析」
  9. ^ a b c 秦郁彦 「阿部編隊帰投せず―ニコバル沖の体当り」『第二次大戦航空史話(中)』 中央公論社〈中公文庫〉、1996年(平成8年)、273頁以下。
  10. ^ 『朝日新聞』1946年10月6日一面
  11. ^ 『朝日新聞』1952年3月24日夕刊一面
  12. ^ 宮内庁『昭和天皇実録第11』東京書籍、2017年3月30日、586頁。ISBN 978-4-487-74411-4 
  13. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 上』(人事興信所、1943年)ア27頁
  14. ^ 秦郁彦 編著 『日本陸海軍総合事典(第2版)』 p.21, 「稲田正純」
  15. ^ 井上成美伝記刊行会 編著 『井上成美』 pp.67-71
  16. ^ 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典(第2版)』 pp.636-637, 「陸軍砲工(科学)学校高等科卒業生」
  17. ^ 秦郁彦 編著『日本陸海軍総合事典(第2版)』 pp.545-611, 「陸軍大学校卒業生」
  18. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
  19. ^ 『官報』第1090号「叙任及辞令」1930年8月16日。
  20. ^ 『官報』第3999号「叙任及辞令」1940年5月9日。
  21. ^ 『官報』第22号「叙任及辞令」1927年1月26日。
  22. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  23. ^ 畑俊六外七十二名」 アジア歴史資料センター Ref.A10113475800 

外部リンク

公職
先代
平沼騏一郎
内閣総理大臣
第36代:1939年 - 1940年
次代
米内光政
先代
小磯國昭
朝鮮総督
第9代:1944年 - 1945年
次代
廃止
先代
有田八郎
外務大臣
第59代(兼任):1939年 - 1939年
次代
野村吉三郎
党職
先代
結成
翼賛政治会総裁
初代:1942年 - 1944年
次代
小林躋造



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