第二次大戦へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/16 09:41 UTC 版)
1932年の春、ドイツ陸軍のヴァルター・ドルンベルガーとカール・ベッカーがVfRのロケット打ち上げを見学した。この実験は失敗したものの、ドルンベルガーはロケット打ち上げへの契約を申し出た。当時、若い学生で、VfRの一員でもあったヴェルナー・フォン・ブラウンはこの契約に積極的だったが、結局VfRはこの提案を断った。ドイツ軍との契約を結ばなかったことで資金繰りが苦しくなったことなどからVfRは1933年ごろには解散している。 1932年11月、ヴェルナー・フォン・ブラウンは一人ドイツ陸軍兵器局に入り、1934年12月エタノールと液体酸素を推進剤とするアグリガットロケットA2の飛行実験を成功させた。1936年までには、A2ロケットの開発は終了し、後継機のA3とA4の開発に着手した。フォン・ブラウンは1937年以降ペーネミュンデ陸軍兵器実験場において技術開発主任となっていた。A4の約1/2スケールモデルのA3は4回の打上げに全て失敗したため、A5の設計が始められた。この形式は信頼性が高く、1941年までに約70基が試射された。A4の最初の1機は1942年3月に飛行し、およそ1.6km飛んで海中に落下した。2回目の打上げでは高度 11.2 km に到達して爆発した。1942年10月3日の3回目の打上げで成功。ロケットは完全な軌跡を描き、宇宙空間に到達した初の人工物体となって192km先に落下した。アグリガットA4はV2ロケットとして実用化され、ドイツ軍の弾道ミサイルとして利用された。この技術は各国の目にも留まり、後に米ロによる技術の奪い合いにも発展した。
※この「第二次大戦へ」の解説は、「ドイツの宇宙開発」の解説の一部です。
「第二次大戦へ」を含む「ドイツの宇宙開発」の記事については、「ドイツの宇宙開発」の概要を参照ください。
- 第二次大戦へのページへのリンク