第二次大戦の終戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:21 UTC 版)
第二次大戦の終戦後の1946年、総合大学の延禧大学校として発足し、国内では初の男女共学が実施された。一方、セブランス医学校もセブランス医科大学として発足した。1957年、延禧大学校とセブランス医科大学の統合をもって延世大学校として名称を改めることとなった。 未来キャンパスは原州基督病院の設立者のフローレンス・ジェシー・マリー博士 (Dr. Florence Jessie Murray)の生前の意向により原州基督病院から1976年に寄贈を受け、翌年の1977年に医科大学分校として開設された。1981年に原州大学(現在は5大学1学部)に昇格した。 延世大学校は韓国に於いては最も歴史の古い大学である。慶應義塾大学とは姉妹校の協定を結んでおり、東日本大震災の際には慶應義塾大学へ震災義援金を贈った。1970年に日本の大学で慶應義塾大学と初の交換協定を結んでいる。 イギリスの国際高等教育の情報・評価機関である"Quacquarelli Symonds"社による「QS世界大学評価ランキング2023」の調査に於いては、アジア1位・世界79位に位置している。
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