第二次大戦から朝鮮戦争まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 23:02 UTC 版)
「掃海艇」の記事における「第二次大戦から朝鮮戦争まで」の解説
第二次世界大戦の開戦当初においても、機雷とはすなわち触発式の係維機雷であり、これに対する掃海艇は、特に外洋型においては、艦隊の前路掃海を主任務として比較的高速・重装備の鋼製の艇が主流であった。しかし大戦後期に、沈底式感応機雷が出現したことで、対機雷戦はいっそう複雑かつ熾烈になった。感応機雷としては、まず船の磁気を感知する磁気機雷、次にスクリューの音響を感知する音響機雷、そして最後には水圧を感知する機雷も敷設された。このことから、特に磁気機雷に対する触雷を避けるため、以後、掃海艇の建材は非磁性化が求められるようになった。 これらの沈底式感応機雷は、大戦後にも改良が続けられ、朝鮮戦争において実戦投入されたことで、その脅威を関係各国に認識させることとなった。特に感応機雷発火装置の高知能化・目標追尾機雷の出現は、従来の曳航式後方掃海における触雷のリスク・掃海の不確実さを増大させることになり、爆発物処理の手法により機雷を一個一個確実に無力化していくという、機雷掃討に注目が集まった。この必要に応じて、既存の掃海艇への機雷探知機(高周波アクティブ・ソナー)の装備が進むとともに、後には機雷処分を担当する遠隔操作無人探査機である機雷処分具の装備化も進められた。
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