第二次大戦とは? わかりやすく解説

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だいにじ‐たいせん【第二次大戦】

読み方:だいにじたいせん

第二次世界大戦

「第二次大戦」に似た言葉

第二次世界大戦

(第二次大戦 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 02:01 UTC 版)

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、: World War II、略称:WWII)は、1939年昭和14年)9月1日から1945年(昭和20年)9月2日までの6年余りにわたって続いたドイツイタリア日本などの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリスフランス中華民国アメリカソビエト連邦などの連合国陣営との間で戦われた戦争である。連合国陣営の勝利に終わったが、第一次世界大戦以来の世界大戦となり多くの犠牲者を生んだ。


注釈

  1. ^ 。ただし日本国との平和条約では、本戦役は第二次世界大戦の一部とは定義されていない
  2. ^ 実際にソ連領として併合されてしまうと、そこからの出国は、ソビエト体制に不満を持つ反革命分子として摘発されるおそれがあったので、避難民たちは出国を急いでいた。西方からのドイツの脅威と東方からのソ連軍の進駐によって、難民たちは窮地に陥っていたのである。
  3. ^ この調印に際してドイツ軍は第一次世界大戦時に当時のドイツ帝国が連合軍に対する降伏文書に調印した食堂車を特別に調印場所として用意させた。
  4. ^ アフリカ大陸では、広大な植民地を持つフランスが降伏し、北部のフランス植民地、アルジェリアチュニジアモロッコ、アフリカの東沖マダガスカル島などがヴィシー政権の管理下となった。
  5. ^ イギリスの首相ウィンストン・チャーチルは地中海地域を「ヨーロッパの下腹」と呼んだ。
  6. ^ ソ連書記長スターリンは情報部からドイツ軍の動向を繰り返し警告されていたが、それらはイギリスが意図的に流した偽情報と考え、侵攻に備えていなかった。
  7. ^ 奇しくも3年前の独ソ戦開始、バルバロッサ作戦発動日と同じ日付である。
  8. ^ なお、国民の士気低下を恐れて陸軍の英雄、ロンメルの死の真相は公にされず、戦傷によるものと発表され10月18日、盛大な国葬が営まれた。
  9. ^ さらに、戦時国際法では期限のない最後通牒を、事実上の宣戦布告と見なすことは可能、とするのが通説であることに鑑みれば、「ハル・ノートを突きつけられた」と勝手に日本が判断した時点で、これは宣戦布告に等しい、と見なす考えもある。最後通牒の項も参照。
  10. ^ 1940年3月、日本の協力の元に汪兆銘を首班として南京に設立された政権。
  11. ^ しかし後にポルトガル政府は暗黙の下、両地を事実上統治下に置いた。
  12. ^ 当時はイギリスとオランダの植民地
  13. ^ オランダの植民地
  14. ^ 現在のスリランカ
  15. ^ 正式にはドイツ占領下のフランス
  16. ^ その後ブリティッシュ・ロイヤルティは浮揚修理され、アッドゥ環礁に移動。同地でドイツ軍のUボートU-183の雷撃を受けて大破。応急修理後燃料油貯蔵船となり、戦後の1946年1月5日に浸水により沈没した。
  17. ^ 戦死後海軍元帥となる。
  18. ^ 1945年にはアメリカ潜水艦の攻撃を受けた阿波丸事件により、315名いた技術者は160名が戦病死した。
  19. ^ 「インディアナポリス」はこの損害の修理のためにアメリカ本土に曳航され、修理完了後前線に復帰する際、原爆輸送の極秘任務をこなし、原爆を揚陸後に日本海軍の潜水艦「伊58」に撃沈された。
  20. ^ 首相交代による。チャーチルは7月26日まで。アトリーは27日以降(ただし前半も次席として参加)。
  21. ^ 原爆死没者名簿の人数は2020年8月5日現在で32万4129人。
  22. ^ 林航空隊は東北民主連軍航空学校として中国人民解放軍空軍創立に尽力した。
  23. ^ 永井和によれば、重光の具申により方針を撤回させたことは重要であり、無条件降伏があくまで日本軍に対するものであって国に対するものではないことに基づくとする。
  24. ^ カティンの森事件については、1990年にソ連政府がスターリンの指示による犯行を認め遺憾の意を表明した。
  25. ^ 日本兵のシベリア抑留については、1992年にロシアの大統領エリツィンが謝罪した。
  26. ^ Joint Army - Navy Assessment Committee
  27. ^ 実際の戦闘に参加したものは5%に過ぎなかった。
  28. ^ アメリカ政府によるアフリカ系アメリカ人に対する法的な差別の解消は、1960年代に活発化した公民権運動とそれの結果による公民権法の成立を経なければならなかった。ただし、現実の差別解消はその後数十年経った現在もなお完全に実現されたとは言い難く、法の下では平等であっても、社会の生活階層や職業階層に占める人種割合に差が残るなど世俗慣習として差別は依然として残っている。アメリカ政府はアメリカは自由で平等な国であるので、差別は国内には存在しないとしている。
  29. ^ ナバホ族の難解な言語をそのまま暗号として用いた。コードトーカー参照。

出典

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第二次大戦

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ステルス機」の記事における「第二次大戦」の解説

ステルス技術は、レーダー使われ始めた第二次世界大戦の頃から研究され始めたレーダーという「目」研究実用化とともに、それから逃れる技術研究もまた当然の流れであった。 この時代ステルス機と言われるのが、大戦中の英空軍デ・ハビランド モスキートであろう当時イギリスでは鉱物資源の不足が心配されていたため、木製フレームに合板を張り合わせた爆撃機開発された。だが、木材使用したことでレーダーから探知されにくいという副次効果生んだ同時期ソ連軍戦闘機双発爆撃機にも木製機が多かったが、ステルス性については明確に記録されていない同様の理由資源不足)から日本ドイツでも木製航空機試作されたが、組み立て用い接着材の問題などから事故発生した。また当時すでに主流だったジュラルミン製の機体設計を元に木製化する重量増加したため、ごく一部除いて実用化はされなかった。 実用化には至らなかったが、ドイツ開発した全翼機ホルテン Ho229は、主翼前縁レーダー吸収企図してカーボン塗料塗布しエンジン上面配置して排熱抑制するなど、意図してステルス対策施された初の飛行機だった。このため本機は、数十年後の傑作ステルス機F-117開発に際して参考とされた。

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ムハンマド・ディブ」の記事における「第二次大戦」の解説

コレージュ卒業後ウジダモロッコ)のリセに通いバカロレア取得。さらにオラン師範学校小学校教員養成学校)を修了し1939年小学校教員になった同年に第二次大戦が勃発1940年から41年まで陸軍糧秣廠の会計係務め1942年に連国軍アルジェリア上陸した後はトレムセン軍需工場徴用された。さらにアルジェリア国鉄雇用された後、1943年から44年にかけてアルジェの米武器貸与局で仏英の通訳記者として働いたアルジェ滞在中は、アルジェ大学フランス語版)で文学講座受講した戦後故郷トレムセン戻ってからは、再び会計仕事家庭教師絨毯下絵描きなどの仕事転々とした。

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ベルレヴォーグ」の記事における「第二次大戦」の解説

第二次世界大戦ドイツ占領下ベルレヴォーグにはロシア人捕虜によって空港造営された。このため1943年から翌年にかけて市街飛行場はほぼ毎日ロシア軍からの爆撃受けた1944年11月ドイツの焦土作戦により跡形もなくなり、住民らは立ち退き強いられた終戦後ノルウェー政府住民らをよりよい港湾のある近くのコングスフィヨルドに移住させようとしたが、彼らは拒んで復興させた。当時ベルレヴォーグには木が全くなかったため、住民らは旧飛行場木板活用して家を建てた

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第二次大戦

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イレーヌ・ジョリオ=キュリー」の記事における「第二次大戦」の解説

1939年第二次世界大戦開戦し1940年パリドイツ軍占領された。イレーヌフレデリックと共にフランスに留まり、レジスタンス運動参加したフレデリックはさらにフランス共産党にも入り一度は逮捕された。戦争中食糧不足などが響いてイレーヌ結核悪化していった。そのため、毎年サナトリウムでの生活も次第長引くようになってきた。政治状態が安定しない中でや子供と離れることになるサナトリウム生活はイレーヌ不安にさせた。 1944年フレデリックはレジスタンスグループである大学人国民戦線責任者になった。このことによって身の危険大きくなったフレデリックは、イレーヌ子供2人スイス逃亡させることにしたイレーヌは、長女エレーヌバカロレア二次試験あること理由反対した。そのため、イレーヌ子供2人はいったモンベリアルまで行きそこからエレーヌが国近くまで行って試験を受け、その後国境を越えてスイス入った国境を越えたはちょうノルマンディー上陸作戦決行され6月6日であったスイスでは、事前にフレデリック協力によって逃亡していたポール・ランジュバン再会した

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水陸両用作戦」の記事における「第二次大戦」の解説

日中戦争緒戦において、1937年には杭州湾の上作戦が行われたほか、太平洋戦争でもマレー作戦などで上陸作戦展開された。これらの戦闘において、日本軍海空陸戦力を密接に協同させた作戦展開しており、米軍により「海洋電撃戦」(maritime blitzkrieg)として高く評価された。 しかし日本陸軍では、上陸作戦上陸した段階終了するものと捉えており、その後の戦い通常の陸上作戦なるものとする観念強く島嶼戦連続となるような状況や、港湾設備がない島嶼で長期に渡って活動し続けるという状況想定されていなかった。また特に中国沿岸圧倒的な制海制空権下での成功体験積み重ねたことは、後に太平洋戦域において強大な米英海空軍対抗するにあたり陸海軍協同阻害要因となった海軍艦隊決戦重きをおいており、上陸作戦援護や、上陸後軍事海運に対する関心薄くなっていた。 これに対しアメリカ軍水陸両用作戦当初から統合作戦として発達したこともあって、サイパンのように大規模な作戦では、ひとつの攻略作戦において海軍・海兵隊陸軍軍種越えた指揮系統組織されるようになっていた。特にこの時期の海兵隊海軍との連携歴史上前後例がないほどに強いものであった

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第二次大戦

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ミハイル・ミンスキー」の記事における「第二次大戦」の解説

ミンスキー1942年8月2日赤軍徴兵されサラトフで4ヶ月訓練行った彼はすぐに捕虜として捕らえられ前線近くの様々な捕虜収容所で計33ヶ月もの時を過ごした1943年彼はハンガリー国近く強制労働させられるが、この時監視役がプラトフ・ドン・コサック合唱団テナーでもある義理の兄であった。そしてこの時彼はミンスキーセルゲイ・ジャーロフ率いドン・コサック合唱団について話をした。

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第二次大戦

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フランクリン・C・シバート」の記事における「第二次大戦」の解説

1941年9月中国・ビルマ・インド戦線米軍司令官ジョセフ・スティルウェル中将参謀となり、翌42年ビルマ撤退同行10月に第6歩兵師団英語版)長に任命されニューギニア島での対日反攻戦を指揮したその後レイテ島で戦う第X軍団英語版)長に就任した退役後はとともにフロリダ州フォート・ウォルトン・ビーチに住んだ1980年死去

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第二次大戦

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ヘンリー・アリンガム」の記事における「第二次大戦」の解説

第二次世界大戦中アリンガム兵役猶予の状態で数多く計画従事したそれらの中で最も重要だったのはドイツ軍磁気機雷対抗する効果的な手段開発することだった。1939年彼はエセックス州ハリッジの港にそのシステム送り磁気機雷相殺しようとした9日後、彼の目論見うまくいった。

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ジェフリー・パイク」の記事における「第二次大戦」の解説

第二次世界大戦中パイク提案したパイクリートパルプ混ぜて凍らせ物質)による超巨大氷山空母」の建造有名である。この計画(「ハバカック計画」として知られる)はコンバインド・オペレーションズ (Combined Operations) によって研究されルイス・マウントバッテン伯とウィンストン・チャーチル個人的な援助受けたが、成功には至らなかったちなみに同時に過冷却した敵艦浴びせ氷漬けにするというアイデア提案していたが、真っ先に却下されている。 北欧侵攻に際しては雪上における兵員輸送という問題に取り組んだ彼の提案は、悪魔の旅団結成M29 ウィーゼル開発つながっているパイク戦後発明家として活動続けたが、1948年の冬に睡眠薬自殺した自殺の理由不明である

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