独立準備委員会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/02 06:10 UTC 版)
独立準備委員会(どくりつじゅんびいいんかい)は、大日本帝国軍政時代にインドネシアに設置された、インドネシア独立の準備のために政体、領域その他の諸問題をインドネシア人委員が審議、議案採択する機関で、先に設立され成功裏に完了した独立準備調査会の成果を受け継ぎ、独立宣言草案、憲法草案等を採択し実施に移すものである[1]。なお終戦期にインドネシア側は独自の裁量で委員を追加しており、インドネシア人独自の機関とも言える側面を持つ。
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- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』192頁。
- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』192頁。
- ^ 終戦期にインドネシア側独自の裁量で6名追加され、合計27名となったとされる(id:Panitia Persiapan Kemerdekaan Indonesia)。
- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』119頁によれば、1945年8月11日任命である。同年8月7日任命であったとする資料もある(id:Panitia Persiapan Kemerdekaan Indonesia)。
- ^ 終戦による独立頓挫を恐れ、即時の独立のためには武力衝突も辞さない急進派青年グループによるスカルノ及びハッタの拉致事件(レンガス・デンクロック事件)等事態の急転に鑑み、インドネシア人委員達は8月16日深夜に前田精日本海軍少将邸宅に集まり、独立宣言文案の確認と承認を行った。アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』146頁。
- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』193頁。
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