独立準備調査会
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独立準備調査会(どくりつじゅんびちょうさかい)は、大日本帝国軍政時代にインドネシアに設置された、インドネシア独立の準備のために政体、領域その他の諸問題をインドネシア人委員が調査、討議、議案採択する機関である[1]。
- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』192頁。
- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』91頁の訳注による。同書120頁の著者スバルジョの記憶によれば同年3月10日の設立とされる。インドネシア語版(id:Badan Penyelidik Usaha Persiapan Kemerdekaan Indonesia)では同年4月29日に正式に発足したとされている。
- ^ より正確には通常委員60名(インドネシア人)および特別委員7名(日本人)の合計67名からなる機関であるが、特別委員7名には票決権はない(id:Badan Penyelidik Usaha Persiapan Kemerdekaan Indonesia)。
- ^ しばしば「9人委員会」と呼ばれる。増田与(1979)「インドネシアの歴史と文化」『現代インドネシアの社会と文化』17頁。
- ^ アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』192頁。
- ^ 憲法草案の議事と採択が迅速であったのは、スバルジョによれば、1944年1月にウェディオディニングラット博士を委員長とする憲法起草のための委員会が設立されており、独立準備調査会がその成果を引き継いだからであるとされる。アフマッド・スバルジョ著、奥源造編訳 (1973)『インドネシアの独立と革命』91頁。
- ^ ラジマン・ウェディオディニングラット博士のこと。Mata Elang Media.(2011) Kabinet Indonesia Bersatu II +UUD 1945 dan Perubahannya. 43頁。
- 1 独立準備調査会とは
- 2 独立準備調査会の概要
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