ジャカルタ憲章とは? わかりやすく解説

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ジャカルタ憲章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 21:33 UTC 版)

ジャカルタ憲章(じゃかるたけんしょう)は、大日本帝国軍政時代にインドネシアに設置された独立準備調査会において、憲法前文の起草を目指し、スカルノハッタスバルジョ、ヤミンなど9名が「九人委員会」を組織して1945年6月22日に作成した文書[1]である。[2][3]


  1. ^ 「Piagam(Piagem)」は「憲章(Charter)」と訳され、本来的には法の一種を意味する(M.B. Hooker. edit. (1986).261頁参照)。しかしながら、1945年6月22日に作成されたジャカルタ憲章(Piagam Jakarta)は、独立宣言(1945年8月17日)以前、および憲法制定1945年8月18日)以前の文書であり、いわゆるパンチャシラの起草に寄与したのみで、法的根拠とはならないとされる(後藤乾一他 (1979)『現代インドネシアの社会と文化』18頁参照)。
  2. ^ 後藤乾一他 (1979)『現代インドネシアの社会と文化』17頁。
  3. ^ Mata Elang Media. (2011). Kabinet Indonesia Bersatu II (Jilid II)+UUD 1945 dan Perubahannya.44頁。
  4. ^ 日本国際問題研究所インドネシア部会編『インドネシア資料集 上 1945~1959 年』1972 年、p.17-p.18。
  5. ^ スバルジョ『インドネシアの独立と革命』1973年、182頁。
  6. ^ イスラム信徒にはイスラム法の実践を義務とする神」の部分は、正式に憲法前文に取り入れられた建国5原則(パンチャシラ)にはない表現である(後藤乾一他 (1979)『現代インドネシアの社会と文化』17頁他参照)。
  7. ^ 2013年現在流布しているテキストでは「ジャカルタ、1945年6月22日」とされているものが多く、「suatu Hukum Dasar Negara Indonesia, jang terbentuk dalam suatu」(インドネシア国基本法)が抜けているものも見られる。


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