大東亜会議
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大東亜会議(だいとうあかいぎ、旧字体: 大東亞會議)は、1943年(昭和18年)11月5日 - 11月6日に東京で開催されたアジア地域の首脳会議。同年5月31日に御前会議[1]で決定された大東亜政略指導大綱に基づき開催された。
注釈
- ^ 「マライ」、「スマトラ」、「ジャワ」、「ボルネオ」、「セレベス」ハ帝国領土ト決定シ重要資源ノ供給源トシテ極力之ガ開発竝ニ民心ノ把握ニ努ム
出典
- ^ 不破 2001, p. 22.
- ^ “外務省: 『日本外交文書』特集「太平洋戦争」(全3冊)”. www.mofa.go.jp. 2023年2月26日閲覧。
- ^ a b c 服部, 田村 & 瀬戸 2007, pp. 168–171.
- ^ 澄雄, 波多野「重光葵と大東亜共同宣言 -戦時外交と戦後構想-」『国際政治』第1995巻第109号、1995年、38–53,L7、doi:10.11375/kokusaiseiji1957.109_38、CRID 1390001205334893696。
- ^ 森 1992, pp. 250–251.
- ^ 山崎 雅弘『侵略か、解放か!?世界は「太平洋戦争」とどう向き合ったか』学研マーケティング、2016年8月17日。ISBN 978-4-05-405417-2。
- ^ a b c 深田祐介 2004 [要ページ番号]
- ^ 小林よしのり『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』幻冬舎、2001年10月1日。ISBN 9784344001312。p213。
- ^ 深田祐介『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』文藝春秋、1991年9月1日。ISBN 978-4163455600。
- ^ 『黎明の世紀 大東亜会議とその主役たち』深田祐介著 文藝春秋 1991年[要ページ番号]
- 1 大東亜会議とは
- 2 大東亜会議の概要
- 3 概要
- 4 参加国
- 5 参考文献
大東亜会議
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同11月に日本の東條英機首相は、満州国やタイ、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府、中華民国南京国民政府などの首脳を東京に集めて大東亜会議を開き、大東亜共栄圏の結束を誇示した。この年の年末になると、開戦当初の相次ぐ敗北から完全に態勢を立て直し、圧倒的な戦力を持つに至ったアメリカ軍に加え、ヨーロッパ戦線でドイツ軍に対して攻勢に転じ戦線の展開に余裕が出てきたイギリス軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍などの数カ国からなる連合軍と、中国戦線の膠着状態を打開できないまま、太平洋戦線においてさしたる味方もなく事実上一国で戦う上、開戦当初の相次ぐ勝利のために予想しなかったほど戦線が延びたことで兵士の補給や兵器の生産、軍需物資の補給に困難が生じる日本軍の力関係は一気に連合国有利へと傾いていった。
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