汪兆銘とは? わかりやすく解説

おう‐ちょうめい〔ワウテウメイ〕【汪兆銘】

読み方:おうちょうめい

[1883〜1944中国の政治家。番禺県広東省)の人。字(あざな)は精衛法政大学在学中中国革命同盟会加入国民党結成後は同党左派中心。のち日中戦争が始まると和平救国唱えて日本との提携主張し1940年南京政府樹立主席となった名古屋病死ワン=チャオミン


ワン‐チャオミン【汪兆銘】

読み方:わんちゃおみん

おうちょうめい(汪兆銘)


汪兆銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/31 08:17 UTC 版)

汪 兆銘(おう ちょうめい、ワン・ジャオミン、1883年5月4日光緒9年3月28日〉 - 1944年民国33年〉11月10日)は、中華民国政治家[1]行政院長(第4代)・中国国民党副総裁[2]辛亥革命の父、孫文の側近として活躍して党の要職を占めた。 季新精衛(中華圏では「汪精衛」と呼ぶのが一般的である)[注釈 1][3]




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汪兆銘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 23:28 UTC 版)

アジア主義」の記事における「汪兆銘」の解説

汪兆銘は国父孫文大アジア主義意思継承した人物1912年1月1日南京孫文臨時大総統就任し列国向かって中華民国成立宣言発表したが、この宣言起草行った日中戦争中には徹底抗戦主張する蔣介石対し日中共存共栄こそ中国国民幸せに至る道であると確信し中国共産党蔣介石とは異なる独自の道を目指した。「一面抵抗一面平和」の哲学のもと日中和平唱え奔走したがついに叶わなかった。

※この「汪兆銘」の解説は、「アジア主義」の解説の一部です。
「汪兆銘」を含む「アジア主義」の記事については、「アジア主義」の概要を参照ください。

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