おう‐ちょうめい〔ワウテウメイ〕【汪兆銘】
読み方:おうちょうめい
[1883〜1944]中国の政治家。番禺県(広東省)の人。字(あざな)は精衛。法政大学在学中に中国革命同盟会に加入。国民党結成後は同党左派の中心。のち日中戦争が始まると和平救国を唱えて、日本との提携を主張し、1940年南京政府を樹立、主席となった。名古屋で病死。ワン=チャオミン。
ワン‐チャオミン【汪兆銘】
読み方:わんちゃおみん
⇒おうちょうめい(汪兆銘)
汪兆銘
汪兆銘
汪兆銘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 23:28 UTC 版)
汪兆銘は国父孫文の大アジア主義の意思を継承した人物。1912年1月1日、南京で孫文は臨時大総統に就任し列国に向かって中華民国成立の宣言を発表したが、この宣言の起草を行った。日中戦争中には徹底抗戦を主張する蔣介石に対し日中の共存共栄こそ中国国民の幸せに至る道であると確信し、中国共産党や蔣介石とは異なる独自の道を目指した。「一面抵抗、一面平和」の哲学のもと日中和平を唱え奔走したがついに叶わなかった。
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