国民精神総動員
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国民精神総動員(こくみんせいしんそうどういん、旧字体:國民精󠄀神󠄀總動員)は、大日本帝国政府が1937年(昭和12年)9月から行った軍国主義政策の一つ。「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)」を涵養すべく推進した、官製の国民運動[1]。略して精動とも。消費節約、貯蓄奨励、勤労奉仕、生活改善などを旨としたスローガンがメディアを通じて提唱され、国民の戦争協力体制構築を図った。
概要
満州事変の翌年の日本では、五一五事件により軍事政権が発足し、同時に革新官僚らによる選挙粛正運動も続いていた。文部省は8月23日、学生思想問題調査委員会の諮問に基づき、国民精神文化研究所を創設した[注釈 1]。1933年、帝国議会はアンシュルスの影響で国家総動員法を可決し、司法省はナチス法を研究し、帝国弁護士会はワシントン海軍軍縮条約廃止活動をしていた[2][3]。
文部省は1935年に学制を改革して青年学校を創設し、外務省は1936年(昭和11年)11月25日、ナチス・ドイツと日本政府はベルリンで防共協定に調印し、ソビエト連邦の国際共産主義運動に対する共同防衛政策を取ることになった。
1937年(昭和12年)7月7日に起こった盧溝橋事件以降の、日中戦争(支那事変)を契機に、第1次近衛内閣は女性や子供など非戦闘員を含む国民全員の戦意を昂揚させ、戦争遂行に協力させようとの目的で、同年8月24日、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」[1]の三つのスローガンを掲げた「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定、9月9日、内閣訓令を出した。10月12日に古参の軍人・官僚を幹部とする「国民精神総動員中央連盟」(有馬良橘会長)が設立され[1]、10月13日、第一回国民精神総動員強調週間が始まった[4]。
長期戦と物資不足が懸念されていた日中戦争および、のちに加えて太平洋戦争に際して、「ぜいたくは敵だ!」などの標語(後述)を街頭・新聞などで掲げたほか、パンフレットや教育映画・ラジオなど、メディアを使った宣伝に努めた(プロパガンダおよびマスメディアの戦争責任も参照)。子供向けには銃後支援、軍事援護、国民貯蓄奨励などを題材にした国策紙芝居が製作され、小学校を中心に上演された[5]。
当初は精神運動の性格が強かったが、やがて国民服やモンペ姿を男女の制服として推奨する教化運動[6]など、具体的な国策協力を中心とするようになり、国民に耐乏生活を強いるにいたった。
1938年(昭和13年)にはヒトラー・ユーゲントの次長ラインホルト・シュルツェが日本にも来訪し、2月4日、ナチス党員である日独文化協会主事のワルテル・ドーナートとともに[注釈 2]、宮崎県を査察して、1935年創設の集団勤労事業の祖国振興隊に好印象を持ったという[注釈 3]。その結果、元宮崎県会議員の伊東岩男議員、栃木県会議員の木村浅七議員らが衆議院で「祖国振興隊全国普及に関する建議案」を提案するに至り、2月24日、文部省事業として可決された[7]。これが神奈川県、石川県、三重県などにも広まり、1938年6月9日には文部省が「集団勤労作業運動に関する文部次官通牒」を発表した[8]。11月には日独文化協定が締結され、学校教員の任命は、ナチスドイツと連帯しての国策事案となった[9]。
同年までには銀行や会社の多くが半ドンを返上、労働強化も進められた[10]。上意下達型の運動の限界もあり、まもなく一般社会には不満が鬱積し始めた。
1939年(昭和14年)3月28日、官側の組織として「国民精神総動員委員会」が設置され(勅令「国民精神総動員委員会官制」公布)[1]、運動は官民二本立てで進められた。6月16日、国民精神総動員委員会は、遊興営業の時間短縮、ネオン全廃、中元歳暮の贈答廃止、学生の長髪禁止、パーマネント廃止などの「生活刷新案」を決定した。9月1日以降は、毎月1日に「日の丸弁当」を奨励する興亜奉公日が設けられた[1][11]。
1940年(昭和15年)4月[1]に運動組織が内閣総理大臣を会長とする「国民精神総動員本部」に一本化されたのを期に、上流階級を狙い撃ちにする戦術に改められ、一定の効果をあげた。内務省が9月、隣組の制度を発足させると、国民精神総動員本部は同年10月[1]、生みの親であった近衛文麿を中心とする新体制運動の動きに合わせて、10月、大政翼賛会に吸収されて消滅した。
しかしその後も、国民精神文化研究所など文部省は、戦意昂揚のための宣伝を続けていった。1942年12月には内閣情報局が大日本言論報国会を創設し、婦人選挙権獲得運動を展開していた市川房枝らの大日本婦人会も組み込んでいった。
標語一覧
国民精神総動員運動は、対内において、国際収支均衡確保のための外貨獲得政策となり、対外において、日本の目的が西洋的覇道でなく「八紘一宇の大理想」、換言すれば「東洋の王道」に基づき、「人類共同の敵たる共産主義」の絶滅にあることを明確にする役目を担った。しかし、実際には後者の役目が果たされたとは言い難い。逆に、企画院、興亜院、商工経済会などの官僚機構による計画経済が推進されていた。
- ぜいたくは敵だ!
- 日本人ならぜいたくは出来ない筈だ!
- 欲しがりません勝つまでは
石油 の一滴、血の一滴- 東條首相の算術「2+2=80」
- パーマネントはやめましょう
- 国民精神総動員
- 進め一億火の玉だ
- 遂げよ聖戦 興せよ東亜
- 聖戦だ 己れ殺して 国生かせ
-
ぜいたくは敵だ!
-
パーマネントはやめましょう
-
勤労報国隊を結成せよ
-
進め一億火の玉だ
このような標語に対し、一般国民の中には、「ぜいたくは敵だ!」に「素」の字を書き加えて「ぜいたくは素敵だ!」と揶揄するなど、当時の国策に対する間接的な批判を試みた者も少なからず存在した。ただし、これらの行為は全て匿名で行われており、誰が最初に始めたかは分かっていない。
同様のキャンペーンは1942年以降、国民決意の標語[注釈 4]に引き継がれた。
関連項目
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e f g 『国民精神総動員運動』 - コトバンク
- ^ 司法省「華府条約廃止通告に関する声明」。1934年。ウィキソース。
- ^ 帝国弁護士会「ナチスの刑法」(『司法資料』)。1934年。ウィキソース。
- ^ 巻末資料『安浦町史 通史編』p1067、安浦町史編さん委員会編、2004年3月31日発行
- ^ 全県に紙芝居網、国民精神総動員運動を推進『福岡日日新聞』昭和14年3月19日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p52 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 遠山茂樹, 今井清一 & 藤原彰 1959, p. 164.
- ^ 第73回帝国議会衆議院議事録「建議委員会第10号」。1938年3月24日。
- ^ 小野雅章 1999.
- ^ 東京文化財研究所「日独文化協定公布」。
- ^ 大蔵省が率先して廃止決める『東京朝日新聞』昭和13年5月9日夕刊(『昭和ニュース事典第6巻 昭和12年-昭和13年』本編p70 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 遠山茂樹, 今井清一 & 藤原彰 1959, p. 164
参考文献
史料
- “総動員計画設定処務要綱案”. 田中義一内閣 (1929年6月18日). 2018年8月26日閲覧。
- “国民精神総動員実施要綱”. 第1次近衛内閣 (1937年8月24日). 2018年8月26日閲覧。
- “国民精神総動員強化方策”. 平沼内閣 (1939年2月9日). 2018年8月26日閲覧。
- 「国民精神総動員委員会官制」御署名原本(昭和14年勅令第80号) - 国立公文書館デジタルアーカイブ
- 『昭和史』(新版)岩波書店〈岩波新書, 青-355〉、1959年。ISBN 4004131308。
- 熊谷次郎『隣組読本』(新版)非凡閣、1940年。
参考文献
- 遠山茂樹、今井清一、藤原彰『昭和史』(新版)岩波書店〈岩波新書, 青-355〉、1959年。ISBN 4004131308。
- 井上寿一『理想だらけの戦時下日本』筑摩書房〈ちくま新書, 1002〉、2013年。ISBN 4480067116。
- 「集団勤労作業の組織化と国民精神総動員 : 宮崎県祖国振興隊を事例として」『教育学研究』66巻3号<特集 教養の解体と再構築>、日本教育学会、1999年、306-314,370、doi:10.11555/kyoiku1932.66.306。
- Donald M., McKale (1977). “The Nazi Party in the Fast East, 1931-45”. Journal of Contemporary History (Sage) Vol. 12, No. 2: 291-311 .
外部リンク
- 時局に關する圖書目録 帝国図書館 1937年12月
国民精神総動員
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1937年7月、日中戦争が勃発する。日本政府はこれに対応して翌月「国民精神総動員実施要項」を閣議決定する。その趣旨は「挙国一致・堅忍不抜の精神をもって現下の時局に対処する」ため「時局に関する宣伝方策および国民教化運動方策の実施として官民一体となりて一大国民運動を起さん」とするものであり、その実施方法については、各省関係団体を動員して、それぞれの事業に関連して協力させることを決める。またその実施機関については、「民間各方面の有力なる団体」を網羅した外廓団体を中央機関として結成することとし、同年10月に国民精神総動員中央連盟を結成する。これには中央教化団体連合会が加盟するほか、全国神職会、中央報徳会、大日本報徳社、修養団の各教化団体も「有力なる団体」と認められて直接加盟する。
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