平沼内閣
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平沼内閣(ひらぬまないかく)は、枢密院議長の平沼騏一郎が第35代内閣総理大臣に任命され、1939年(昭和14年)1月5日から1939年(昭和14年)8月30日まで続いた日本の内閣。
注釈
- ^ 弁護士、首相秘書官を経て就任。
- ^ 安部博純 ファシズム外交の論理と国際認識:日本外交の国際認識 その史的展開 doi:10.11375/kokusaiseiji1957.51_109 国際政治 (51), 109-128, 1974
- ^ 平沼内閣けさ総辞職外交新発足の必要痛感(辞表奉呈後首相声明)新聞記事文庫 政治(59-069)大阪朝日新聞 1939.8.29(昭和14)
- ^ 「今回締結せられた独ソ不可侵条約に依り、欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じたので、我が方は之に鑑み、従来準備来った政策はこれを打切り、更に別途の政策樹立を必要とするに至った」 この声明に「複雑怪奇」という表現にあるように、日本の支配者が国際情勢を判断する力を失い、自主的な外交政策を立てられなくなっていたことの証明である(遠山茂樹・今井清一・藤原彰『昭和史』[新版] 岩波書店 〈岩波新書355〉 1959年 172ページ)
- ^ 平沼内閣の総辞職 社説 新聞記事文庫 政治(59-072)読売新聞 1939.8.29(昭和14)
出典
平沼内閣
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「平沼内閣」も参照 1939年1月に発足した平沼内閣は、基本的に第1次近衛内閣の後継内閣としての性格がつよく、政策・人事の大部分を引き継ぐとともに、枢密院に転じた近衛文麿自身も班列(無任所大臣)として残留してこれに協力した。 そのうえ議会が近いという事情から、近衛内閣から塩野季彦法相兼逓相、荒木貞夫文相、木戸幸一内相、有田八郎外相、八田嘉明商工相兼拓務相、米内光政海相、板垣征四郎陸相の七閣僚が留任、あたかも首のすげ替えの様相を呈した。週刊『アサヒグラフ』はこれを「平沼・近衛交流内閣」と皮肉っている。 しかし同時に、近衛系の人材でも末次信正、有馬頼寧、風見章らのような熱烈な制度改革論者は、平沼の閣僚名簿からは除かれていた。これは観念右翼と評される平沼が、新体制運動・制度改革論者をナチス型国家社会主義の亜流として警戒していたことを意味している。 最大の懸案である対中問題では「爾後國民政府ヲ對手トセズ」という近衛声明に基づき、汪兆銘政権を成立させ、これと外交的解決を図ることで日中戦争の幕引きを狙ったが、意図したような中国国民党内部の分断が成功せず、まったくの失敗に終わる。 一方内政問題としては、戦争にともなう経済圧迫に対応するために第1次近衛内閣以来の国民総動員体制を実務的に推進し、警防団の設置など、米穀配給統制法・国民徴用令などの制定とともに、国民精神総動員委員会などを設置して挙国一致体制を整えていった。 しかし、1939年(昭和14年)4月9日に親日的とみなされていた程錫庚海関(開港場の税関)監督を抗日ゲリラに暗殺狙撃される事件がおこり、犯人が潜伏した天津イギリス租界での事件調査をめぐってイギリスが犯人の引き渡しを拒否して対立した。本間雅晴天津軍防衛司令部の名で陸軍が英仏租界の交通を制限し、英租界を事実上封鎖するという問題に発展していく(天津英租界封鎖事件)。 平沼は外交交渉によってこの問題の解決を図り、有田・クレーギー協定で英国の譲歩を勝ち取るものの、これがアメリカの反発を呼び、1939年7月26日に日米通商航海条約を廃棄を通告され、また閣内の英米派とドイツ派との対立を深める結果となり、政権は混迷する(野村・グルー会談にのる新条約、暫定条約の試みも成功せずに日米通商航海条約は1940年1月26日に失効)。 さらに1939年8月20日にノモンハンで日本軍が記録的大敗を喫する国境紛争がおきた(ノモンハン事件)。また8月23日に独ソ不可侵条約が締結され、防共を標榜しドイツとともに反ソ連勢力の結集を政治課題としつつ軍事同盟をドイツと討議していた平沼は、日本政府を無視した容共姿勢に転換したドイツのやり方に驚き呆れ、8月28日「欧洲の天地は複雑怪奇」という声明とともに総辞職した。 なお独ソ不可侵条約締結の発表前から、独ソ接近の情報は世界的にも広まっており、1939年7月7日に日支事変二周年の記念式典にて平沼に対し新聞記者が「独ソ接近説について如何」と意見を求め、平沼は「通商等の経済上の問題で接近が無いとは断言が出来ない。しかし、政治的に独ソの間の接近があるなぞとは認めない」と返答していた。外交的な敗北といえよう。
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