小柳牧衛とは? わかりやすく解説

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小柳牧衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/18 03:06 UTC 版)

小柳牧衛(1938年)

小柳 牧衛(小柳 牧衞[1]、こやなぎ まきえ、1884年7月13日 - 1981年12月21日)は、日本の内務官僚政治家。官選県知事新潟市長衆議院議員、参議院議員。幼名は畋之助。

経歴

新潟県北蒲原郡川東村大字上楠川(現:新発田市)に生まれる。新発田中学第一高等学校を経て、1909年東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1910年内務省に入り北海道属となり、1913年北海道庁理事官に就任。

その後、青島守備軍民政部事務官、臨時震災救護事務局事務官兼総務課長、青森県内務部長、山口県書記官・内務部長、神奈川県書記官・内務部長などを歴任。1926年9月、青森県知事に就任。1927年5月17日に休職となる[2]。以後、福島県長崎県兵庫県の各知事を歴任した。1931年12月18日に兵庫県知事を休職[3]1932年1月29日、依願免本官となり退官した[4]

1934年1月、新潟市長に就任。1936年2月、第19回衆議院議員総選挙で新潟県第二区に立憲民政党から 出馬し当選。1942年4月の第21回総選挙まで連続3回当選した。この間、平沼内閣文部政務次官を務めた。

戦後に公職追放となる。追放解除後、第2回参議院議員通常選挙新潟地方区補欠選挙で当選。以後、第4回第6回通常選挙で当選し、通算3回の当選を果した。1964年秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章(勲三等からの昇叙)[1]1968年7月の第8回通常選挙には出馬せず引退。参議院議員としては、参議院内閣委員長外務委員長、公職選挙法改正に関する特別委員長などを務めた。

1974年秋の叙勲で勲一等瑞宝章受章[5]

1981年12月21日死去、97歳。死没日をもって正四位から従三位に叙される[6]

脚注

  1. ^ a b 『官報』第11369号6頁 昭和39年11月4日号
  2. ^ 『官報』第113号、昭和2年5月18日。
  3. ^ 『官報』第1493号、昭和6年12月19日。
  4. ^ 『官報』第1523号、昭和7年1月30日。
  5. ^ 『官報』第14357号7頁 昭和49年11月7日号
  6. ^ 『官報』第16481号13頁 昭和57年1月7日号

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
議会
先代
青柳秀夫
参議院外務委員長
1965年
次代
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先代
新谷寅三郎
参議院内閣委員長
1955年 - 1956年
次代
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官職
先代
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新潟市長
官選第13代:1934年 - 1937年
次代
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先代
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兵庫県知事
官選第21代:1931年 
次代
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長崎県知事
官選第28代:1931年 
次代
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先代
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福島県知事
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次代
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先代
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青森県知事
官選第21代:1926年 - 1927年 
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