吉江勝保
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吉江 勝保(よしえ かつやす、1900年(明治33年)4月8日 - 1970年(昭和45年)9月17日[1])は、日本の内務官僚、政治家。山梨県知事(官選第42代、公選初代)。参議院議員(3期)、衆議院議員(1期)。号は知山。
- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』443頁。
- ^ a b c 第64回国会 参議院 本会議 第1号 昭和45年11月24日
- ^ 山梨県知事就任以前の前歴は「吉江勝保・天野久立候補の言葉・経歴」『山梨日日新聞』(以下『山日新聞』)昭和26年4月4/7日、『山梨県史』資料編15近現代2政治行政Ⅱ(以下『県資』15)所載)。
- ^ 「知事になつたらこうする/吉江勝保氏」『山日新聞』昭和22年3月30日、県資』15所載)
- ^ 「救国山梨新党の行方」『山日新聞』昭和23年3月1日、『県資』15所載
- ^ 『県資』15には昭和23年度の第一号の『山日新聞』による要約と解説が所載、「県政報告書」『山日新聞』昭和23年8月10/11日
- ^ 「治山治水に対する施策」『昭和二十三年定例県議会会義録第一号』昭和23年2月27日、『県資』15所載 山梨県では戦前から開発に伴う水害が多発している地域で、明治後年に山林の荒廃を要因として発生した明治40年の大水害を契機に明治末年に恩賜林が下賜され県有財産となっていたが、戦時下や終戦後における木材需要の増加により再び山林荒廃が進行していた。また、戦災復興に関しては市街地の大半を焼失した甲府市のみが戦災復興事業の対象になっている。
- ^ 「吉江県政各層批判」『山日新聞』昭和24年1月4日、『県史』資15所載
- ^ 「吉江・天野両候補の十大政策」『山日新聞』昭和26年4月7日、『県資』15所載
- ^ 『官報』号外第61号2頁 昭和45年4月30日号
- ^ 『官報』第13128号19-20頁 昭和45年9月21日号
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