降矢敬雄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 降矢敬雄の意味・解説 

降矢敬雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/09 23:21 UTC 版)

降矢 敬雄(ふるや けいゆう、1921年大正10年)10月7日[1] - 1993年平成5年)7月14日[1])は、昭和期の農業協同組合指導者、労働運動家、政治家参議院議員(1期)。

経歴

山梨県で生まれる[1][2]。1939年(昭和14年)都留中学校(現山梨県立都留高等学校)を卒業[1]。1943年(昭和18年)陸軍予備士官学校を卒業し、満洲国フィリピンなどを転戦し、陸軍中尉終戦を迎えた[2]

戦後、郵政事務官となり、全国特定郵便局従業員組合中央本部書記長、同副委員長を務めた[1][2]山梨県議会議員に選出され5期[注 1]在任し、同議長も務めた[1][2]。その他、山梨県森林組合連合会副会長・理事、同県農業協同組合中央会信用農業協同組合連合会経済農業協同組合連合会全国共済農業協同組合連合会共通会長理事、家の光協会監事、全国新聞情報農業協同組合連合会理事、全国農業協同組合中央会理事などを務めた[2]。1976年(昭和51年)3月、山梨県上野原町立西原小学校備品購入費として100万円寄付により1977年(昭和52年)3月30日紺綬褒章受章[3]

1977年(昭和52年)7月の第11回参議院議員通常選挙山梨県地方区から自由民主党公認で出馬して当選し[4]、参議院議員を1期務めた[1][2]。この間、参議院商工委員長、自民党国民運動本部副本部長、参議院自民党国会対策副委員長などを務めた[1][2]。所属会派は自由民主党・自由国民会議であった[2]

その他、上野原町森林組合長理事、全日本剣道連盟参与、甲斐生コン社長なども務めた[1][2]

1992年(平成4年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[5]

1993年(平成5年)7月14日死去、71歳。死没日をもって正八位から従四位に叙される[6]

著作

  • 『農協まるまる活用法 : 利殖だけではない―こんなうまみがいっぱい!』リヨン社、1982年。

脚注

注釈

  1. ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』401頁では4期。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i 『現代物故者事典 1991-1993』526頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』401頁。
  3. ^ 『官報』第15081号12-17頁 昭和52年4月19日号
  4. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』462頁。
  5. ^ 『官報』号外第58号18頁 平成4年4月30日号
  6. ^ 『官報』第1216号12-13頁 平成5年8月11日号

参考文献

  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『現代物故者事典 1991-1993』日外アソシエーツ、1994年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会
先代
金丸三郎
参議院商工委員長
1981年 -1982年
次代
亀井久興



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  降矢敬雄のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「降矢敬雄」の関連用語

降矢敬雄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



降矢敬雄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの降矢敬雄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS