吉江宗信
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 13:30 UTC 版)
吉江 宗信(よしえ むねのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。上杉氏、長尾氏の家臣。吉江氏23代[3]。越後国吉江城城主。魚津城の戦いにおける守将の一人。常陸入道宋誾と号した[4]。
- ^ 移転前の越後林泉寺は新潟県上越市中門前
- ^ 『『戦国人名辞典』の吉江景資の項の執筆者福原圭一は、花押の形状から宗信が景泰の父景資と同一人であるとする。『上杉年譜』天正2年(1574年)6月20日の条にも「吉江常陸介宗信カ男与次ヲ家督ニ命セラル」とあり、父子としている。一方、祖父であるとの見解は『越佐史料』の比定に基づくものであるが、金子拓氏は各書状の比較検討により景資(織部佑)と宗信(常陸入道宗ギン)が別々に実在したのは間違いないとし『越佐史料』の比定を支持している。(『大日本史料第十編之二十三編纂ノート』)』
- ^ a b “上杉家ゆかりの方々”. 春日山林泉寺. 2023年8月12日閲覧。
- ^ a b c “魚津ゆかりの武将”. 魚津城の戦い. 魚津市. 2023年8月12日閲覧。
- ^ “大河ドラマ「天地人」”. NHK. 2023年8月12日閲覧。
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