景勝方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 23:31 UTC 版)
景勝方には以下の諸将が加担した。直江信綱や斎藤朝信、河田長親といった謙信側近・旗本の過半数(特に大身の直江・山吉の参陣が大きい)が加担している点、及び新発田・色部・本庄といった下越地方の豪族である揚北衆の大身豪族が加担している点が特徴である。特に謙信側近中の重鎮や謙信旗本の多くが景勝に就いていることから、上杉家家中では景勝が後継者と見做されていたのではないかという意見もある。上杉一門の加担者では、謙信の4人の養子のうち当事者である景勝・景虎以外の、上条上杉氏を継いだ上条政繁や山浦上杉氏を継いだ山浦国清が味方している。 一方で越後の諸将は、謙信血縁(甥)の景勝を支持したわけでなく、地域別に見ると春日山城を中心とする上越、景勝本拠地の魚沼および三島、阿賀北の大半が景勝を支持し、逆に謙信の有力支持基盤であった古志・刈羽・蒲原郡南部からは背かれた。 上条政繁:上杉一門(上条上杉家当主)。刈羽郡上条城主。『上杉氏軍役帳』では軍役96人。 山浦国清:上杉一門(山浦上杉家当主)で実父は村上義清。蒲原郡白河荘山浦領主。『上杉氏軍役帳』では軍役250人。 山本寺孝長:上杉一門。山本寺上杉家当主であった定長の実弟。 甘粕景持:小荷駄奉行。山東郡桝形城主。 柿崎千熊丸:柿崎晴家嫡男。 河田長親:謙信側近。越中国松倉城主。 斎藤朝信:謙信側近。刈羽郡赤田城主。「上杉氏軍役帳』では軍役213人。 吉江資堅:謙信側近。 直江信綱:謙信側近。直江景綱の婿。山東郡与板城主。 鯵坂長実:謙信旗本。能登国七尾城代のうちの1人。 今井国広:謙信旗本。下平氏一族。魚沼郡千手城主。 上野家成:謙信旗本。上野国利根郡沼田城代。 千坂景親:謙信旗本。蒲原郡内領主。 山吉景長:謙信旗本。木場城主。 吉江宗信:謙信旗本。蒲原郡吉村領主。 吉江景資:謙信旗本。父は吉江宗信。 大石綱元:上杉氏重臣。関東管領家古参。 北条高定:上杉氏重臣。刈羽郡佐橋荘領主。『上杉氏軍役帳』では軍役105人。 安田顕元:上杉氏重臣。刈羽安田氏当主。刈羽郡安田城主。 色部長実:揚北衆色部氏当主。岩船郡小泉庄加納の平林城主。 新発田長敦:揚北衆新発田氏当主。謙信側近。蒲原郡新発田城主。『上杉氏軍役帳』では軍役194人。 五十公野治長:揚北衆新発田長敦の弟。蒲原郡五十公野城主。後に新発田重家と改名。 長沢道如斎:揚北衆新発田長敦の義弟。蒲原郡三条町奉行。後に五十公野信宗と改名。 竹俣慶綱:揚北衆竹俣氏当主。謙信側近。 中条景泰:揚北衆中条氏当主で実父は吉江宗信。蒲原郡鳥坂城主。 築地資豊:中条氏分家築地氏当主。 本庄繁長:揚北衆本庄氏当主。岩船郡小泉庄本庄城主。景虎方についた上杉景信は義兄、本庄顕長は嫡男にあたる。 安田長秀:揚北衆蒲原安田氏当主。蒲原郡白河荘安田城主。妻は上田長尾房長妹・娘か? 安田有重:長秀嫡男。母は上田長尾出身。 水原満家:揚北衆水原氏当主。『上杉氏軍役帳』では軍役87人。 下条忠親:揚北衆下条氏当主。河田長親の弟。『上杉家軍役帳』では軍役52人。 須田満親:信濃国高井郡領主。 菅名綱輔:中蒲原郡菅名庄領主。『上杉氏軍役帳』では軍役78人。 山岸隼人佐:西蒲原郡黒滝城主。『上杉家軍役帳』では軍役55人。 山崎秀仙:謙信側近。儒者。 大井田景国:越後新田党大井田氏当主 大井田氏景の娘婿 長尾政景の弟。 狩野秀治:景勝側近。 樋口兼豊:景勝側近。兼続・与七の父。 樋口兼続:景勝側近。兼豊の長男。後に直江兼続と改名。 樋口与七:景勝側近。兼豊の次男。兼続の弟。後に大国実頼と改名。 岩井信能:信濃国人出身。
※この「景勝方」の解説は、「御館の乱」の解説の一部です。
「景勝方」を含む「御館の乱」の記事については、「御館の乱」の概要を参照ください。
- 景勝方のページへのリンク