大井田氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 06:10 UTC 版)
大井田氏(おおいだし)は、里見義成の子・義継とその子の氏継が、越後魚沼郡大井田郷(新潟県十日町市)を領地としたことから始まる。 大井田氏は越後新田党をまとめ、新田義貞が数十騎で挙兵した際には、経隆が越後より2,000騎の軍勢で参上し、義貞軍の中核として鎌倉攻めに加わった。建武新政からは経隆の次男氏経(式部大夫、弾正少弼)が義貞配下の将として勇戦し、湊川の合戦での敗北の後、越前によった義貞を救援すべく越後で2万の兵を集めたが、義貞の戦死の報を受け瓦解してしまった。
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