大井氏(紀氏流)の興り 1157年頃
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紀実直は、保元新制による荘園整理令に伴い国衙の在庁官人として武蔵国荏原郡に土着し、荏原郡大井郷の地名から大井氏を称した。平治の乱による平氏の台頭をうけ平氏方の渋谷氏から又鶴を妻に迎えるも、1180年 源頼朝の関東挙兵には6人の子供達(後の潮田氏初代を含む)と共に大井氏として参加した。 その後、頼朝政権に地頭職を補任され、在地領主として有力御家人となり、たびたび源頼朝の上洛に一族で随行するなど紀氏出身の家臣として重用された。一族は壇ノ浦の戦いや承久の乱などにも参戦している。
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