越後河内氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 04:05 UTC 版)
越後国新田党一族の武将河内為氏に代表される一族。河内為氏は南北朝時代に越後にあって越後新田党を支えた武将の一人で、南朝に味方して越後国内を転戦している。建武2年(1335年)12月の竹之下の戦いの際、『太平記』は、越後からは、大井田氏、里見氏、鳥山氏、羽川氏、籠沢氏、風間氏らの新田氏一族、高梨氏、小国氏、河内氏、池氏らの豪族が、参陣していた記述があり、加地景綱、色部高長は蒲原津城に籠もる小国政光、荻氏、風間氏、河内氏らと松崎・豊田荘鴻巣で合戦すると史料に見える。建武3年・延元元年(1336年)、2月18日、小国氏、河内氏、池氏、風間氏、於木氏、千屋氏、高梨氏らが挙兵すると見える。7月27日、小国、河内以下の宮方は、加地荘、奥山荘に乱入と見える。延元2年(1337年)小国政光、河内為氏、風間氏以下が岩船宿に押し寄せ、色部氏らと合戦すると見える。
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