景勝観光地へとは? わかりやすく解説

景勝観光地へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 06:27 UTC 版)

江の島」の記事における「景勝観光地へ」の解説

落語大山詣り見られるように、江戸時代後期には江戸庶民行楽地として大山 - 江の島 - 鎌倉 - 金沢八景を結ぶ観光ルート流行した立て前寺社参拝だが、景勝地古蹟訪ね名物料理味わい名産土産とするという側面強くなってくる。江の島風光多く浮世絵描かれ歌舞伎舞台となるなど、広く知られるうになる明治維新廃仏毀釈により、与願寺は宗像三女神祀る江島神社となり、宿坊一般旅館へと転業した。1887年明治20年)の鉄道開通、さらに1902年明治35年)の江之島電氣鐵道開通江の島多く観光客を運ぶことになり、鎌倉まで全通すると、江の島鎌倉を結ぶ観光ルート確立し修学旅行などで賑わうようになった大正時代には新たな神社として児玉神社祀られた。1923年大正12年9月1日 - 大正関東地震により島全体が2メートル近く隆起し海蝕台海面上に現れる東岸津波被害著しく島内のほとんどの建物倒壊した江の島桟橋津波流失する震災復興が進む中、1929年昭和4年)には小田急江ノ島線開通し観光地発展きっかけ与えた神奈川県湘南海岸一帯国際観光開発目論み、湘南遊歩道路(現・国134号)の敷設をはじめ、インフラ整備進められた。江の島では1934年昭和9年4月海底透視船が営業開始するなど、新し魅力加わった戦後1947年昭和22年4月1日江の島を含む鎌倉郡片瀬町藤沢市編入され藤沢市江ノ島鎌倉観光による江の島観光地開発本格化する。木造江の島桟橋コンクリート橋脚(橋桁木製)の「江の島弁天橋」となり、「江の島植物園」「平和塔」の建設続いた1959年昭和34年3月5日藤沢市米国マイアミビーチ市と姉妹都市提携を結び、「東洋のマイアミビーチ」という触込み江の島片瀬鵠沼地区観光開発力を入れる。この年江ノ島鎌倉観光日本初野外エスカレータ江ノ島エスカー」を建設した1964年昭和39年)の第18回東京オリンピックヨット競技会場になった頃が観光客数ピークで、以後漸減する。1971年昭和46年3月7日岩屋落石事故起こり立ち入り禁止となったことも江の島魅力失わせることとなった。そこで1986年昭和61年)、「江の島地区整備計画検討会議」が発足し観光地江の島再生図られた。神奈川県1985年昭和60年)に「湘南なぎさプラン」を策定、さらに1990年平成2年)、イベントサーフ'90」を開催し相模湾各自治体連携と県の指導による相模湾地域活性化図られた。22年にわたり閉鎖した岩屋は、調査整備の後、1993年平成5年)に有料観光施設として再開された。その一環として藤沢市による江の島植物園リニューアル工事が行われたのである江の島サムエル・コッキング苑オープン1年後発表され年間入場者数は、旧江の島植物園時代20万人弱から50万人超えるまでになった2021年1964年東京オリンピックのレガシー活かす形で、2020年東京オリンピック・パラリンピックセーリング会場となったが、コロナ禍無観客ということもあり、一般客には会場であることを知らない者も多く人出少なかった

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