姉妹都市提携
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1980年(昭和55年)11月、カナダ・オンタリオ州ミササガ市より、日本の刈谷市との姉妹都市提携を希望する書簡が届いた。翌年1981年(昭和56年)1月、日本企業関係者がミササガ市長ヘーゼル・マッキャリオンの親書を携えて刈谷市に訪問する。これに対して刈谷市側は慎重な態度をとり、まず調査団をミササガ市に送った。ところがミササガ市側は同日のうちに姉妹都市提携を宣言した。こうした問題があったものの、スポーツ・文化面での交流を中心に友好を深める線で合意に達し、調査団の帰国後、刈谷市側も議会で承認可決した。姉妹都市提携の調印式は、1981年(昭和56年)7月6日にカナダのミササガゴルフカントリークラブでとり行われた。 しかしその後、一時は音信が途絶え、また議会先行の提携であったためか市民レベルでの交流はなかった。そこで次にアメリカ・ミシガン州のフリント市が姉妹都市提携を申し入れてきたが、これに対し当時の宮田刈谷市長は明確な回答を避けた。ようやく1983年(昭和58年)4月になって「刈谷市国際友好協会」が発足したことによってミササガ市との具体的な交流が始まった。
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