亀山孝一とは? わかりやすく解説

亀山孝一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/17 07:14 UTC 版)

亀山 孝一(かめやま こういち、1900年8月30日 - 1979年3月25日[1])は、日本の内務及び厚生官僚政治家福島県知事(官選第40代)、衆議院議員(6期)。

経歴

岡山県出身。内務官僚亀山理平太、佐登夫妻の長男として生まれる。台北一中岡山一中第一高等学校を経て、1924年4月に東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年5月、内務省に入り内務属として衛生局に配属された。

1925年10月、地方警視岐阜県警察部付となり、山口県警察部特高課長、防疫官兼内務事務官・衛生局付、内務書記官・衛生局医務課長、計画局防空課長、愛知県書記官・警察部長、兵庫県書記官・総務部長、企画院第三部長などを歴任。

1943年7月、福島県知事に就任。1944年4月、厚生省に転じ衛生局長となる。勤労局長を経て、1945年8月、厚生次官に就任。この頃、浪人となっていた特高警察の経歴を持つ者を救済として厚生事務官に採用したとされる[2]1946年1月まで在任し、同年9月に公職追放となる。1951年8月に公職追放が解除された。

1955年2月、第27回衆議院議員総選挙岡山県第1区日本民主党から出馬し当選。第28回総選挙で再選されたが、1960年11月の第29回総選挙で落選。1963年11月の第30回総選挙で当選し、1972年12月の第33回総選挙まで連続3回、通算で6回の当選を果たした。1976年12月の第34回総選挙には出馬せず引退。

裁判官弾劾裁判所裁判員、衆議院地方行政委員長、同建設委員長、自民党代議士会副会長、日本環境衛生工業会会長などを歴任[1]。自治族の重鎮であり「天皇」の異名で知られた[2]厚生年金事業振興団理事長も務めた[1]

1976年春の叙勲で勲一等瑞宝章受章(勲三等からの昇叙)[3]

1979年3月25日死去、78歳。死没日をもって正四位から従三位に叙される[4]

著書・文献

  • 『医師の業務上の責任及広告』医海時報社、1925年。
  • 『衛生行政法』松華堂書店、1932年。
  • 亀山孝一追悼事業実行委員会編『亀山孝一追想録』亀山孝一追悼事業実行委員会、1988年。

親族

  • 娘婿 柏原及也(内務省官吏)

参考文献

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。

脚注

  1. ^ a b c 新訂 政治家人名事典 明治~昭和. 亀山 孝一. コトバンクより2024年3月17日閲覧
  2. ^ a b 後藤田正晴 (1998). 情と理<上>. 講談社. pp. 154、168 
  3. ^ 『官報』第14795号6頁 昭和51年5月4日号
  4. ^ 『官報』第15658号17-18頁 昭和54年3月30日号
議会
先代
金丸信
衆議院建設委員長
1971年 - 1972年
次代
天野光晴
先代
岡崎英城
衆議院地方行政委員長
1967年 - 1968年
次代
吉川久衛
官職
先代
中村敬之進
厚生次官
1945年 - 1946年
次代
安井誠一郎
先代
荒木義夫
福島県知事
官選第40代:1943年 - 1944年
次代
石井政一




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「亀山孝一」の関連用語

亀山孝一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



亀山孝一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの亀山孝一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS