始関伊平
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始関 伊平
しせき いへい
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生年月日 | 1907年4月7日 |
出生地 | 千葉県市原郡(現:市原市) |
没年月日 | 1991年11月26日(84歳没) |
出身校 | 東京帝国大学法学部 |
所属政党 | (分党派自由党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
称号 | 正三位 勲一等瑞宝章 |
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内閣 | 鈴木善幸改造内閣 |
在任期間 | 1981年11月30日 - 1982年11月27日 |
選挙区 | 旧千葉1区 |
当選回数 | 9回 |
在任期間 | 1953年 - 1955年 1958年 - 1969年 1976年 - 1983年 |
始関 伊平(始關 伊平[1]、しせき いへい、1907年4月7日 - 1991年11月26日)は、昭和期の商工官僚・政治家・弁護士。位階は正三位、勲等は勲一等。
経歴
千葉県市原郡(現:市原市)出身。東京帝国大学法学部を卒業後、1930年に商工省に入省する。岸信介に引き立てられ、鉱山局長・鉄鋼局長などを歴任、戦後資源庁長官となる。
1953年の第26回衆議院議員総選挙では分党派自由党から立候補して初当選。以後、日本民主党・自由民主党を経て通算9回当選する(ただし、1955年の第27回衆議院議員総選挙・1972年の第33回衆議院議員総選挙・1983年の第37回衆議院議員総選挙では落選)。
この間、第2次池田内閣から第1次佐藤内閣にかけて通産・労働・科学技術の各政務次官を務め、衆議院の建設・内閣両委員長も務めた。1981年の鈴木改造内閣では建設大臣として入閣する。
1983年の第37回衆議院議員総選挙で落選し、その後政界から引退、弁護士業に専念した。
1978年11月の秋の叙勲で勲一等に叙され瑞宝章を受章する[2]。
1991年11月26日、死去。84歳没。同月29日、特旨を以て位四級を追陞され、死没日付で正五位から正三位に叙された[3]。
脚注
公職 | ||
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先代 斉藤滋与史 |
![]() 第45代:1981年 - 1982年 |
次代 内海英男 |
議会 | ||
先代 正示啓次郎 |
![]() 1978年 |
次代 藏内修治 |
先代 加藤常太郎 |
![]() 1968年 - 1970年 |
次代 金丸信 |
固有名詞の分類
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