上野建一とは? わかりやすく解説

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上野建一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/13 06:05 UTC 版)

上野 建一(うえの けんいち、1931年2月25日 - )は、日本政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。

来歴

山形県鶴岡市出身。明治大学法学部中退。山形の夜間高校在学中から左派社会党の活動に参加し、1953年上京して左派社会党の準機関紙的な『社会タイムス』に入社、『社会タイムス』が1954年に休刊すると同年社会主義協会に入局、1963年の千葉県議選立候補まで勤務し、『社会主義』編集などに携わる[1]

1963年千葉県議に当選し4期務め、三里塚闘争初期において小川国彦らとともに支援活動を行う[2]

1981年、当時の千葉県知事川上紀一東京都内の不動産業者から選挙資金として5000万円を受け、念書を署名し、その業者に渡したとされる川上五千万円念書事件で辞職。同年の千葉県知事選挙に上野は社会党などの推薦を受け、無所属で立候補したが、落選した。

1983年の総選挙旧千葉1区から立候補して初当選。1986年の総選挙で落選したが、1990年の総選挙で復帰した。社会党内での社会主義協会派の代表的人物のひとりであった。1992年3月、真里谷事件(倒産したゴルフ場開発会社「真里谷」から上野への不明朗な資金提供疑惑)で議員辞職した。のち社会党を離党し、1996年1月、新社会党の結成に参加。同年10月の1996年の総選挙比例代表南関東ブロックに同党から立候補するも落選。政界を引退したが、新社会党の役員は引き続き務め、選対委員長、書記長を歴任した。1998年の社会主義協会分裂にあたっては、坂牛哲郎とともに新社会党系社会主義協会(いわゆる坂牛協会)の代表に就任した。

現在は新社会党で顧問を務めている。2020年11月、幼少から社会主義協会分裂頃までの自己の政治活動体験を振り返った今村稔との対談集『あのころ あのひと』を刊行した。

著書

  • 『あのころ あのひと 上野建一・今村稔対談』(社会主義協会 2020年11月、今村稔との共著)

参考文献

脚注

  1. ^ 上野建一・今村稔『あのころ あのひと』
  2. ^ 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、182・244頁。



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