岡島正之とは? わかりやすく解説

岡島正之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 23:10 UTC 版)

岡島 正之
おかじま まさゆき
生年月日 (1930-11-20) 1930年11月20日
出生地 千葉県
没年月日 (2002-10-22) 2002年10月22日(71歳没)
死没地 千葉県市原市
出身校 日本大学文学部(現日本大学文理学部)中途退学
前職 競輪選手
所属政党自由民主党→)
新生党→)
新進党→)
自由党→)
保守党
称号 正四位
勲二等瑞宝章
親族 岡島一正(長男)

選挙区旧千葉1区→)
千葉3区
当選回数 4回
在任期間 1986年 - 2000年6月2日
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岡島 正之(おかじま まさゆき、1930年11月20日 - 2002年10月22日)は、日本政治家競輪選手。競輪選手登録番号は981。

日本競輪選手会副理事長、衆議院議員(4期)、厚生政務次官衆議院労働委員長保守党国会対策委員長(初代)などを歴任した。

経歴

生い立ち

千葉県出身。1951年日本大学文学部(現日本大学文理学部)中途退学。

競輪選手時代

大学中途退学後に競輪選手となるが、後に事務方として日本競輪選手会千葉支部長を経て、日本競輪選手会副理事長を務めた後、退任とともに1965年7月1日競輪選手登録消除。

政治家時代

1971年千葉県議会議員選挙で初当選し、以後1986年まで4期16年を務める。1979年千葉県議会副議長。

1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙に、旧千葉1区から立候補し初当選。以降、連続4回当選を果たす。当初は自由民主党に所属していたが、羽田孜らとともに離党し新生党に移った。細川内閣では、厚生政務次官を務めた。のちに新進党へ参加した。1996年第41回衆議院議員総選挙では新進党から立候補し、千葉3区当選を飾った。

新進党分党後は自由党に所属したが、2000年に離党して保守党の結党に参加し、国会対策委員長に就任した。だが、同年の第42回衆議院議員総選挙に敗れ、引退表明。2001年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章[1]2002年10月22日、千葉県市原市の病院で死去、71歳[2]。死没日をもって正四位に叙される[3]

家族・親族

長男である岡島一正は、NHKの報道カメラマンを経て立憲民主党衆議院議員となった。

略歴

脚注

  1. ^ 『官報』号外第87号26頁 平成13年5月1日号
  2. ^ 共同通信「岡島正之氏死去――元保守党衆院議員」『岡島正之氏死去 元保守党衆院議員全国新聞ネット2002年10月22日
  3. ^ 『官報』第3497号10-11頁 平成14年11月28日号
議会
先代
笹山登生
衆議院労働委員長
1996年
次代
青山丘
党職
先代
新設
保守党国会対策委員長
初代:2000年
次代
二階俊博




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