恣意的
読み方:しいてき
「恣意的」とは、「気ままで自分勝手に振る舞うさま」もしくは「必然的とはいえない行動を取る」という意味で用いられる表現である。本来的には「場当たり的な」「好き勝手する」という意味の言葉であり、「作為的」「意図的」という意味の使い方は誤用とされる。いずれにしてもネガティブなニュアンスで用いられやすい表現である。
「恣意的」の語源はフランス語の「arbitraire」を日本語訳したものだとされている。「arbitraire」は、言語記号の音と意味の結びつきは、必然性ではなく社会慣習的な決まりごとが元となっていることを示す。スイスの言語学者ソシュール(Ferdinand de Saussure)が19世紀末ごろから提唱した理論で使われた、言語学の用語である。ただし、それよりも以前に「恣意」という言葉自体は使われていた。1833年に発表された漢詩集「山陽詩鈔」に恣意は用いられている。
類語には、「任意(的)」「随意(的)」が挙げられる。「任意」は「その人の考えに任せること」を指す。自由な判断で自分の思うままに行動するといった意味を持つため、恣意的の類語と言える。「随意」は「自分の思うまま」「束縛や制限を受けない様」を意味する。任意と同じく、自由に気まかせな心で行動ができるといったニュアンスを持つ。場合によっては「意図的」や「作為的」といった言葉も類語に挙げられるだろう。
なお、巷では「恣意的」を「意図的」「作為的」に近い意味合いで使う用法は誤用であるとの認識が広まっている。例を挙げるなら、次のような使い方だ。
・コメンテーターの発言の一部を恣意的に切り取って、都合のよい報道をする。
・それらの証拠から、彼らの不正請求は恣意的に行われたものだと判断できる。
・望みの結論を導くために恣意的な解釈をしてはいけない。
しかし、これは誤用とは言えない。「恣意」は心を表す「意」と「ほしいままにする」という意味の「恣」からなっている。このことから「恣意」の基本的な意味は「心をほしいままにする」となり、そこから発展し「勝手気ままな考え」となる。だが、「勝手気ままな考え」が「偶発的」な意味であるのか、それとも「意図された」という意味を含むのかについては、断定されていない。つまりは、「恣意」は意図的な意味合いを持った「勝手気ままな考え」として使っても誤りとはいえないだろう。
ただし、恣意的には「勝手気ままな考え」というネガティブなニュアンスが付加されるのは見逃してはならない。そのため、「恣意的」と使われる場面のすべてを「意図的」あるいは「作為的」に置き換えることはできない。
「恣意的」に形容動詞「な」が付いたもの。「な」は形容動詞「だ」の連体形における活用語尾である。意味合いは「恣意的」と変わるものはない。
形容動詞には活用があり、終止形(〇〇だ)や連用形(〇〇に)に変化させることで、言葉を終了したりつなげたりする効果を持つ。例えば「恣意的な」は、「恣意的だ」「恣意的に」へ、「な」を変化させられる。なお、「な」が助動詞である場合には「に」に変化させることはできない。
気ままで自由な人、あるいは自分勝手な言動や行動が目立つ人のことを指す。「恣意的な人」と言った場合、一般的に批判的な言葉として捉えられる。だが「恣意的」は判断や考えが気ままな様を表す言葉で、人そのものが気ままな事を示すわけではない。正しく「恣意的な人」という言葉を読み取るには、「恣意的な」と「人」との間に省略された意味を考える必要がある。例えば、「恣意的な考えを持った人」と捉えると、理解がしやすくなるだろう。
主観的で自分勝手な発言、もしくは、計画的あるいは意図的にされた発言を指す。この言葉が「わざと」などの意味を含むかは諸説あるが、勝手気ままな考えが意図してなされたかどうかについては、恣意という言葉の持つ意味からは、あずかり知らぬところである。「恣意的」に意図や作為を含ませて解釈してもなんら問題はないだろう。ただし、計画性や目的性を強く表す文脈においては「恣意的」と「意図的」あるいは「作為的」を使い分けた方がよいだろう。
・彼はあくまでも客からの問い合わせに答えただけである。逆に、恣意的な判断によって答えないなどということは許されないのだ。(貴志祐介「黒い家」)
・それは意思を待ち、石田さんの例を見ても分かるように、恣意的に犠牲者を選ぶ。(小野不由美「屍鬼(下)」)
・しばらく恣意的に捨象していたのであるから、それはたちまち通常よりも激しい形で復活してきた。(渡部昇一「新常識主義のすすめ」)
・それらの春本およびその周辺から、ごく恣意的に数編を選んで紹介したのが第二部である。(阿刀田高「江戸禁断らいぶらりい」)
「論理的必然性のない様」「偶然」といった意味での「恣意的」の例文を以下に紹介する。
・この立場は考古学の仕事と手を携えて進んで行こうとしていますが、記録尊重の立場に立つ人は、必ずしもそれに賛同するとは限らないようであります。記録を証拠とするのに比べれば、そういうやり方はよほど恣意的に見えるのでありましょう。(和辻哲郎「埋もれた日本」)
・一体、ビデオテープの望みは何なのか。殺す者、生かす者、ただ恣意的に動いているだけのようにも見える。論理的な道筋があるとすれば、まずそれを発見すべきだ。(鈴木光司「ループ」)
「作為的」「意図的」というニュアンスを持たせた「恣意的」の使用例は次のとおりである。
・面白さはプログラムや映像が作ってくれるのではない、人間が恣意的に作り出すものだ。(長嶋有「パラレル」)
・世界中のことばが日本語のようにことばの女らしさを形にあらわしているわけでもないから、日本語の場合はかなり恣意的に作られているのではないかということが第一に指摘される。(稲垣美晴「フィンランド語は猫の言葉」)
・騙されていると思いたくないものだから、不都合な情報を脳が恣意的に取りこぼしてしまうのだ(中村うさぎ「さすらいの女王」)
「恣意的」は誤用例には次のようなものがある。
・彼の恣意的な発言によって会議は成功に終わった。
・あの会社の恣意的な態度にいつも市場は沸き返る。
「恣意的」は、類似する言葉に「独善的」「場当たり的」「自分勝手」などの言葉があげられる。これは、周囲の意見に耳を傾けず(自分にとって)都合のよいふるまいをするといったニュアンスを「恣意的」は持っていることが理由だ。つまりは、「恣意的」になされた行動に対しては、批判的なニュアンスが生まれる。しかしながら、しばしば「恣意的」を肯定的に捉えて使っている例が見受けられる。これは誤用と言って差支えないだろう。
なお、誤用とまではいえないが、次のような使い方は推奨できない。例えば「彼は自由気ままに恣意的な生き方をしている。」といった使い方である。これは「勝手気まま」という意味合いで「恣意的」を使った文である。例文を見て、正しく意味をなしていると感じる人もいるだろう。だが、このような使い方には「恣意的」ではあまり用いない。「的」といった性質を付加させる語が付いているとはいえ、基本的に「恣意」は判断や目的(物)に対して意味を付加する言葉であるからだ。もし、「生き方」というものに付けるのであれば「風来坊な」や「身勝手な」などがふさわしいだろう。
「恣意的」とは、「気ままで自分勝手に振る舞うさま」もしくは「必然的とはいえない行動を取る」という意味で用いられる表現である。本来的には「場当たり的な」「好き勝手する」という意味の言葉であり、「作為的」「意図的」という意味の使い方は誤用とされる。いずれにしてもネガティブなニュアンスで用いられやすい表現である。
「恣意的」の語源はフランス語の「arbitraire」を日本語訳したものだとされている。「arbitraire」は、言語記号の音と意味の結びつきは、必然性ではなく社会慣習的な決まりごとが元となっていることを示す。スイスの言語学者ソシュール(Ferdinand de Saussure)が19世紀末ごろから提唱した理論で使われた、言語学の用語である。ただし、それよりも以前に「恣意」という言葉自体は使われていた。1833年に発表された漢詩集「山陽詩鈔」に恣意は用いられている。
類語には、「任意(的)」「随意(的)」が挙げられる。「任意」は「その人の考えに任せること」を指す。自由な判断で自分の思うままに行動するといった意味を持つため、恣意的の類語と言える。「随意」は「自分の思うまま」「束縛や制限を受けない様」を意味する。任意と同じく、自由に気まかせな心で行動ができるといったニュアンスを持つ。場合によっては「意図的」や「作為的」といった言葉も類語に挙げられるだろう。
なお、巷では「恣意的」を「意図的」「作為的」に近い意味合いで使う用法は誤用であるとの認識が広まっている。例を挙げるなら、次のような使い方だ。
・コメンテーターの発言の一部を恣意的に切り取って、都合のよい報道をする。
・それらの証拠から、彼らの不正請求は恣意的に行われたものだと判断できる。
・望みの結論を導くために恣意的な解釈をしてはいけない。
しかし、これは誤用とは言えない。「恣意」は心を表す「意」と「ほしいままにする」という意味の「恣」からなっている。このことから「恣意」の基本的な意味は「心をほしいままにする」となり、そこから発展し「勝手気ままな考え」となる。だが、「勝手気ままな考え」が「偶発的」な意味であるのか、それとも「意図された」という意味を含むのかについては、断定されていない。つまりは、「恣意」は意図的な意味合いを持った「勝手気ままな考え」として使っても誤りとはいえないだろう。
ただし、恣意的には「勝手気ままな考え」というネガティブなニュアンスが付加されるのは見逃してはならない。そのため、「恣意的」と使われる場面のすべてを「意図的」あるいは「作為的」に置き換えることはできない。
「恣意的」の熟語・言い回し
恣意的なとは
「恣意的」に形容動詞「な」が付いたもの。「な」は形容動詞「だ」の連体形における活用語尾である。意味合いは「恣意的」と変わるものはない。
形容動詞には活用があり、終止形(〇〇だ)や連用形(〇〇に)に変化させることで、言葉を終了したりつなげたりする効果を持つ。例えば「恣意的な」は、「恣意的だ」「恣意的に」へ、「な」を変化させられる。なお、「な」が助動詞である場合には「に」に変化させることはできない。
恣意的な人とは
気ままで自由な人、あるいは自分勝手な言動や行動が目立つ人のことを指す。「恣意的な人」と言った場合、一般的に批判的な言葉として捉えられる。だが「恣意的」は判断や考えが気ままな様を表す言葉で、人そのものが気ままな事を示すわけではない。正しく「恣意的な人」という言葉を読み取るには、「恣意的な」と「人」との間に省略された意味を考える必要がある。例えば、「恣意的な考えを持った人」と捉えると、理解がしやすくなるだろう。
恣意的な発言とは
主観的で自分勝手な発言、もしくは、計画的あるいは意図的にされた発言を指す。この言葉が「わざと」などの意味を含むかは諸説あるが、勝手気ままな考えが意図してなされたかどうかについては、恣意という言葉の持つ意味からは、あずかり知らぬところである。「恣意的」に意図や作為を含ませて解釈してもなんら問題はないだろう。ただし、計画性や目的性を強く表す文脈においては「恣意的」と「意図的」あるいは「作為的」を使い分けた方がよいだろう。
「恣意的」の使い方・例文
「気まかせな心」「思い付き」といった意味合いでの「恣意的」の例は次のとおりである。・彼はあくまでも客からの問い合わせに答えただけである。逆に、恣意的な判断によって答えないなどということは許されないのだ。(貴志祐介「黒い家」)
・それは意思を待ち、石田さんの例を見ても分かるように、恣意的に犠牲者を選ぶ。(小野不由美「屍鬼(下)」)
・しばらく恣意的に捨象していたのであるから、それはたちまち通常よりも激しい形で復活してきた。(渡部昇一「新常識主義のすすめ」)
・それらの春本およびその周辺から、ごく恣意的に数編を選んで紹介したのが第二部である。(阿刀田高「江戸禁断らいぶらりい」)
「論理的必然性のない様」「偶然」といった意味での「恣意的」の例文を以下に紹介する。
・この立場は考古学の仕事と手を携えて進んで行こうとしていますが、記録尊重の立場に立つ人は、必ずしもそれに賛同するとは限らないようであります。記録を証拠とするのに比べれば、そういうやり方はよほど恣意的に見えるのでありましょう。(和辻哲郎「埋もれた日本」)
・一体、ビデオテープの望みは何なのか。殺す者、生かす者、ただ恣意的に動いているだけのようにも見える。論理的な道筋があるとすれば、まずそれを発見すべきだ。(鈴木光司「ループ」)
「作為的」「意図的」というニュアンスを持たせた「恣意的」の使用例は次のとおりである。
・面白さはプログラムや映像が作ってくれるのではない、人間が恣意的に作り出すものだ。(長嶋有「パラレル」)
・世界中のことばが日本語のようにことばの女らしさを形にあらわしているわけでもないから、日本語の場合はかなり恣意的に作られているのではないかということが第一に指摘される。(稲垣美晴「フィンランド語は猫の言葉」)
・騙されていると思いたくないものだから、不都合な情報を脳が恣意的に取りこぼしてしまうのだ(中村うさぎ「さすらいの女王」)
「恣意的」は誤用例には次のようなものがある。
・彼の恣意的な発言によって会議は成功に終わった。
・あの会社の恣意的な態度にいつも市場は沸き返る。
「恣意的」は、類似する言葉に「独善的」「場当たり的」「自分勝手」などの言葉があげられる。これは、周囲の意見に耳を傾けず(自分にとって)都合のよいふるまいをするといったニュアンスを「恣意的」は持っていることが理由だ。つまりは、「恣意的」になされた行動に対しては、批判的なニュアンスが生まれる。しかしながら、しばしば「恣意的」を肯定的に捉えて使っている例が見受けられる。これは誤用と言って差支えないだろう。
なお、誤用とまではいえないが、次のような使い方は推奨できない。例えば「彼は自由気ままに恣意的な生き方をしている。」といった使い方である。これは「勝手気まま」という意味合いで「恣意的」を使った文である。例文を見て、正しく意味をなしていると感じる人もいるだろう。だが、このような使い方には「恣意的」ではあまり用いない。「的」といった性質を付加させる語が付いているとはいえ、基本的に「恣意」は判断や目的(物)に対して意味を付加する言葉であるからだ。もし、「生き方」というものに付けるのであれば「風来坊な」や「身勝手な」などがふさわしいだろう。
恣意的
読み方:しいてき
「恣意的」とは、「客観的な必然性の認められないような主観的で自分勝手な判断や行動」や「筋の通らない判断を当人の都合や独断によって押し通すような振る舞い」を意味する表現である。
「恣意的」という表現は「自分の都合のよいように判断基準を変更する」というようなネガティブな意味を込めて用いられることが多い。
英語で「恣意的」にあたる表現は arbitrary(アービトラリー)である。ただし arbitrary は「任意(自由な判断に任せる)」の意味合いでも用いられる。必ずしもネガティブな意味を込めて用いられるとは限らない。
「意図的」には「ある考えに基づき、わざわざそのようにする」という意味合いがある。一見そうしなくてもよいと思われるが、敢えてそのようにしたのである、というニュアンスを多分に含む。
「作為的」には「わざとそのように仕組んだ」という意味合いがある。やけに不自然な、というニュアンスで用いられることが多い。
そして「恣意的」は、「意図的」「作為的」と対比すると、「自分の都合で勝手に運用を変える」というニュアンスで用いられることが多い。
「恣意的」とは、「客観的な必然性の認められないような主観的で自分勝手な判断や行動」や「筋の通らない判断を当人の都合や独断によって押し通すような振る舞い」を意味する表現である。
「恣意的」という表現は「自分の都合のよいように判断基準を変更する」というようなネガティブな意味を込めて用いられることが多い。
英語で「恣意的」にあたる表現は arbitrary(アービトラリー)である。ただし arbitrary は「任意(自由な判断に任せる)」の意味合いでも用いられる。必ずしもネガティブな意味を込めて用いられるとは限らない。
「恣意的」の類語・類義語
「恣意的」の類語としては「意図的」「作為的」などの語が挙げられる。いずれも「(敢えて規則に則った進め方をせず)ある考えを持って進め方を変える」という意味合いがある。「意図的」には「ある考えに基づき、わざわざそのようにする」という意味合いがある。一見そうしなくてもよいと思われるが、敢えてそのようにしたのである、というニュアンスを多分に含む。
「作為的」には「わざとそのように仕組んだ」という意味合いがある。やけに不自然な、というニュアンスで用いられることが多い。
そして「恣意的」は、「意図的」「作為的」と対比すると、「自分の都合で勝手に運用を変える」というニュアンスで用いられることが多い。
「恣意的」の対義語・反対語
「恣意的」の対義語としては「機械的」「規則的」あるいは「恣意的でない」などの表現が挙げられる。しい‐てき【恣意的】
恣意的
日本語活用形辞書はプログラムで機械的に活用形や説明を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ。
「恣意的」の例文・使い方・用例・文例
恣意的と同じ種類の言葉
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